Powered By Blogger

2010年5月9日日曜日

ワインの里にて

 今回の登山は、『白山の自然を考える会』のメンバーで、毎年GWとお盆の時期に一緒に登山をしているメンバーとの山行だったが、色んな職種のこのメンバーとの登山が面白いのは、単に山が好きで一緒に登るだけじゃなく、降りたあと、温泉や観光を楽しむというコンセプトで、百名山踏破を目指すミーハーな私にも居心地がいいグループ。
 
ということで、なぜか去年あたりからスケジュール作成担当になった私が、今回お楽しみに入れたのが「ワイン」
大菩薩峠の麓はワインの町勝沼、現在は旧塩山市と合併して甲州市となったが、ワインの原料ブドウだけではなく、サクランボ、桃、スモモなども名産でフルーツロードという通りには至るところに果樹園の看板。そのなかでも今回の目玉はいわゆる地ワイン。
大菩薩嶺の麓の日帰り温泉「大菩薩の湯」で、風呂上がりに飲んだワンカップの日本酒ならぬワンカップ赤ワインがすこぶる気に入って、その醸造元「まるき葡萄酒」を訪ねる。

なんだか醤油屋みたいな会社の名前からは想像が付かないくらいのモダンな建物が現れ、明治10年の起業とは思えないくらい。
入ると早速試飲、陽気なおじさん「もっち」さんがお薦めを次々と出してきて、この酒蔵のもう一つの名産「スモークたくわん」をつまみに、いいかげんいい気持ちになってきた。表には誰でもご自由にと仕込み水の蛇口もあり、ワンカップワインの中身と同じ『オリンピア』という銘柄の赤ワインの一升瓶といくつかのお薦めを買い込む。

私のお酒の選び方は、基本的にどんな酒でもその原料の味がしっかりするものがうまい!と確信している。だから日本酒は純米に限り、焼酎は匂いからしてうまさを醸し出す芋焼酎、ビールはヴァイスビール、そしてワインはちょっとざらつきを感じる赤ワインか、極力新しいフレッシュな白ワイン。
このざらつき感は地ワインには期待できるが、ここ「まるき葡萄酒」のオリンピアもいわゆる気軽に飲めるターフェル風の味わいがいい。

GW山行 百名山No.79 大菩薩嶺(2057m)

 明けて5月3日、温泉もしっかり疲れを癒してくれて、極めて快適な山小屋「三条の湯」で10時間も寝れば、スッキリ爽やか。朝食の卵ご飯もお代わりして6時半、小屋をあとに下山する。小屋の一つ下には渓流沿いに快適そうなキャンプサイトもあり、こんな山小屋ばかりなら山登りはすこぶる楽しくなるだろうと感じる。

林道ゲートから次の目的地の大菩薩嶺へ青梅街道を車を走らせる。さすがにGWで東京からも近いと言うこともあり、車の量が増えてきて、予定の裂石方面からの皇太子ご夫妻も登った人気登山道は混むのではと言うことで、街道から途中で人気も行き交う車もない林道を入り、六本木峠という北側からの登山道で大菩薩嶺を目指す。
尾根道を天庭峠~寺尾峠~丸川峠と進むと、峠の山小屋「丸川荘」から富士山がすっきりと姿をあらわす。

好天に恵まれているとは言え、北側斜面を登ると所々残雪で、昼過ぎに頂上に到着。
目の前に富士の姿を見ながら昼食をとる。


本日の泊まりは大菩薩峠の土産物屋の「介山荘」 その名は未完の大時代小説『大菩薩峠』の作者、中里介山からとったもので、入り口のドアを開けると緒形拳主演の同名の舞台のポスターが私たちを迎え、未完で41巻あるという小説やその逸話などが飾られていた。

その介山荘、これまた前夜の三条の湯同様快適な滞在ができた。お土産屋が本職だからかオリジナルせんべいが渡され記念にボールペンまで付いている。

夕飯は山小屋の定番のカレーライスであったが、
なんと晩酌用にと白ワインがもれなく付いてくるのは感動もので、なんだか山に登りに来た感じがしなくなってきた。昨夜同様、ここも元気な若旦那が頑張っていて、この辺り一帯の山小屋共同でスタンプラリーなどもやっているようで、何だかしかめっ面の登山マニアや壮年団体客ばかりに占領される百名山に、こんな作戦は若い人を呼び込むにはいい案だと感じる。
夕食後の夕日も南アルプスの山々のシルエットはぼんやりとではあったがきれいだった

翌日、5月4日は大菩薩峠から福ちゃん荘~上日川峠~雲峰寺と人気コースを辿り、途中の林道にはこれから登ろうという客を乗せたタクシーが次々と走りすぎ、上白川峠の駐車場のおじさん曰く「登山のお客様には100%駐車スペースは確保します!」

途中の登山道で植物のお勉強。
茎の模様と花の部分が首をもたげた様子に見えることから「マムシ草」とも呼ばれる「天南星(テンナンショウ)

それと、固まって咲いているのに、なぜかこの名前「一人静(ヒトリシズカ)」静御前から名前が来ていると言うが、どこがそうなのか・・・


GW山行 百名山No.78 雲取山(2017m)

 5月2日早朝というか深夜というか、午前2時過ぎに金沢を車で出発し、高速の勝沼インターを寝ぼけ眼で降り、当初予定の登山道入り口の「お祭り」より先の林道に車を進ませ、林道のゲートから歩き始めたのが午前9時近く。

睡眠不足の中、どうにか今日の宿の山小屋「三条の湯」のお風呂にたどり着きたいと、「東京水道水源林」の続く、後山川沿いを歩き、倒れるように三条の湯に到着。すぐにでもお風呂に入りたい気分だったが、軽く昼食を採って、山小屋のおじさんの「頂上までこれから行っても夕食までには帰ってこれるよ」と軽く言われ、昼少し前にリュックを山小屋に置いて頂上へ向かう。


途中何度も鹿の姿を見たが、それだけ出会うと言うことは、植物がそれだけ食い荒らされていると言うことで、新緑はまだ先かと枯れ葉を踏みながら進んでいるのは、実は鹿が新芽を食べ尽くして木が育たないだけかもしれないな、と感じて見渡すと、紫っぽい花の付いた青々とした葉がそこら中にあり、これが毒があって鹿も食べない「ハシリドコロ」という植物だそうで、この植物以外全て食べ尽くしたのかと空恐ろしくなる。



 頂上までの往復4時間半。転げるように三条の湯小屋にたどり着くと、おじさん曰く
「あら、頂上まで行ってきたのかね?お風呂に入りに行ったにしては遅いなとは思っていたが、行ってきたのか・・・」おいおい、あんたが軽く言うからだよ!と文句も言えないくらいぐったりで、夕食に出た鹿肉の燻製も効いたのか、6時過ぎには就寝。ちなにに鹿は害獣扱いされていて、基本的にどれだけ狩猟してもいいとのことで、銃の免許を持つ山小屋の若旦那が捕ってきているらしい。

GW山行初日、車移動で7時間弱、歩き7時間弱。山を二つ登ったくらい疲れて、なんと山小屋で10時間も寝た。


2010年4月26日月曜日

春の息吹~日野山

 迫ってきたGWに予定している登山のために、
冬の間山登りをしてない体をどうにか目覚めさせようと
快晴の空に白山がスッキリ映えて見える朝
琵琶湖周辺の山に向かって出発したが、
北陸自動車道を南下するうちに武生の手前で、
目の前に視界を大きく占める山がきれいに立ちはだかってきた。
 
越前富士とも呼ばれる日野山(ひのさん)・795mで、
「もしかしたら、この頂上から見る今日の白山連峰はきれいだろうな・・・」
「よし!今日はここにしよう!」と急遽変更、
南条サービスエリアのスマートインターチェンジから、一般道にでる。
 登山口の日野神社の手前の登山者用駐車場には
すでに10台くらいの車が停まっていて、
誰もいないだろうと思っていただけにそれなりに人気があるのかな?
と感じながら、登山口の日野神社で安全を願って柏手を打つ。
 













雪解け水が気持ちよく流れる川の音を聞きながら登っていくと
「古道」の標識が現れ、
林道や新しく整備された登山道を時折横切りながら
その古道を辿って頂上まで標高差700m余り、
ちょうど心地よい汗をかいて
頂上の日野神社奥宮まで約2時間。
 細い古道の脇には、時折地蔵が微笑み、


















ショウジョウバカマの花やスミレ系の花がそこここに咲いていて、















見上げると葉桜も彩りを加えたヤマザクラ、
ぽっかり鮮やかな白のコブシの花。


 予想通り、頂上からはちょっとかすんで見えるものの白山の三山の雪をまとった姿。
視線をスライドさせると荒島岳や銀杏峰(げなんぼ)、平家岳、能郷白山、冠山・・・などなど


白山連山の奥の深さを感じさせてくれた。

 









下りは違う道を通り、かつては女人禁制だった山に尼さんが登り、
山の神の怒りに触れて転がり落ちたという
「比丘尼(びくに)ころがし」と呼ばれる急な坂やいくつかの滝、
弁慶がトレーニングに使い3枚に割られたという『弁慶の三枚岩』などを通り、















日野神社に到着。
 なんでもこの日は「青木祭り」とかいう祭事の日だったようで、
朝見たときには開いていた本堂の扉がしっかり閉まって、
回りはひたすらぽっかりと日だまり。そして鳥の声だけの静寂。
 
 ちなみにこの日野山は、白山を開山した泰澄上人が開山したそもそもが修行の山のようで、
かの紫式部も2年間この地に滞在していたそうな。
いくつもある登山道の一つに越前和紙の古里「大滝町」からの道もあったり、
すぐ近くに「鋳物師」という名の集落があったりと調べていくと色んな発見があるような、
そんな静かで深い場所のようだ。
 とりあえず、春の息吹の中、いい汗をかいてきた。

2010年4月11日日曜日

久々に、朝の風景

今年の金沢の桜の開花は先週末満開を迎えた。
うちの近所の伏見川の桜並木もこの時とばかりに春の訪れを謳歌している。
後ろに見える白山連峰の山々はまだ白い雪が残っている。














冬の間もじっと水面を見つめている鷺、これはアオサギの一種なのかな。



そして、最近はつがいで姿を見せるキジが時々甲高い声を出して動き回っている。

能登の春ふたたび・・・

 今年も能登の春の風物詩「いさざ」を食しに穴水町へ。
今回は動画でそのぴちぴちさを感じてみて下さいな!
なにせこの白魚は元気な上に箸でつかむのがすこぶる面倒で、つかんだと思って口に持っていくまでに、どこかに飛んで行ってしまう。口からお迎え状態。

さて、能登と言っても、石川さゆりの歌を口ずさんで荒れ狂う日本海ばかりを想像される人には、ちょっとイメージわかないかもしれないが、馬の頭のような形の能登半島の口を開けたあたりにあるのが七尾湾だが、その沿岸海岸を「内浦」と呼び、海を見ていても、ここは湖か?と思わせるくらい静かな風景。その内浦に注ぎ込むいくつかの川をその白魚は遡ってくるのだが、それを専用の網というかザルというか、そいつで掬って元気いっぱいのいさざをとらえる。その様子はそんなものであの元気な連中を捕まえられるのか?と思わせるほどのんびりとしている。ついでに「穴水」という町名の元になったという名水の湧いている『穴水堂』に寄ってきたが、あまりにも目立たないのでずいぶん探してしまった。

 その内浦ののどかな穴水町を出て、今度は能登半島の反対側、馬の鼻先、頭からたてがみにかけての「外浦」側に向かう。途中、樹齢800年、源氏のなにがしかが平泉から持ち込んできたという『アテの元祖』といわれるアテの巨木、
2つの滝が一つになって大きく流れ落ちる『男女(なめ)滝』を見て、
下大沢という小さな漁村にたどり着いたが、目的の海岸べりの遊歩道は冬の日本海の荒波で、崩壊しているとのことで、どこぞに海に出れる場所がないかと道無き道を進むと『望楼台公園』という何だかぽっかりと空いたスペースの場所にたどり着く。駐車場には車が何台かあり、それにしては人気の全くない場所は、なんとかつては日本海軍の海上監視拠点として、一小部隊が駐屯していたようで、なんだかきな臭い廃墟の雰囲気が漂っていた。
 そうそう、海に行って、何で海に出れる場所を探すのだ?と思われるかもしれないが、能登は日本でも有数のいわゆるリアス式海岸が続き、どこもかしこも断崖絶壁の岩山が海岸にそそり立っている。だから、海岸に出でるには、入り江の部落からの道を探すか、その絶壁を降りていく場所を探さないと難しい。とりあえず、途中から道はありません、というそっけない標識の道を辿って、海岸線まで出て行く。目の前に広がる日本海は石川さゆりがこぶしをきかせるような冬の荒々しさは無いけど、岩を洗う波は次々としぶきを上げていた。
途中すれ違ったおじいさんに「この先大丈夫ですか?」と聞くと、「何もないよ・・・」と半分横を向いてなんだかはっきりしない返事。そういえば、さっきの駐車場で会った人も、視線をそらして、人に接触したくないようなこの雰囲気。これは能登の特長かな?などと思いながら、行けるところまで潮風にあおられながら歩いてきた。
 公園に戻り昼飯をとっていると、手にノートと鉛筆を持ったおじさんが寄ってきて、突然、そのノートを開いて「あんた、どこから来たんかいね?」と訪ねられ、「金沢からですよ」と答えるとノートに何か書き出した。「そんじゃ、お名前は?」と、何とも失礼な質問が飛んできて「なんで名前まで言わなきゃならないの?」と聞き返すと、お湯の沸くコッヘルと私の半分囓った魚肉ソーセージを見ながら、「ピクニックかいね、こりゃ、すまんこと聞いて、申し訳ない・・・」と話し始めた。
 何でも、このあたりは、春のシーズンは雪割草の花と行者ニンニクの葉で有名だそうで、雪割草はここから近い『猿山岬』に群生していることは知っていたが、行者ニンニクは初耳で、その雪割草と行者ニンニクを勝手に採取して、それも最近は根こそぎ持って行くやつが出てきて、国定公園の特別保護地区であるので、最近はしっかり監視と指導をしているとのこと。要するに私は人相からか行者ニンニクの密猟者?に間違われたようだ。そういえば、視線を余り合わせず、相手を識別するような視線は、そういうことだったのか!そういえば海岸にいるのに鎌持ってたな。
 帰り道、JAの生鮮物を売っている店に寄ってきたら、ありましたありました、行者ニンニクが今がシーズンでっせ!とばかりに袋詰めされて並んでいた。物色している私に店のおばさんがこっちの方が美味しいよ」と勧める袋には、他の生産物や他の行者ニンニクの袋とちょっと雰囲気が違い、生産者の名前が表記されてなかった。なるほど、こんな所に流通してるのかと納得してしまった。

2010年3月30日火曜日

甲子園の人模様

 地元のチームや出身校が出場してないと、案外冷静にテレビ観戦に熱中できるのが高校野球。
最近は、高校球児も場慣れしているのか、スタイルが良くなったせいか、泥臭さとか地方色が薄くなってきて、何だか妙にスマートに見えてくるが、それでも、多少演じている気配はあるものの、ひたむきさとかがむしゃらさという彼らの横顔は見ていて感動を与えてくれる。
 とほめていると、またまた問題発言を問いただされる監督さんが出てきて、まあ、それでも冷静になって反省して、謝罪した上辞任までしたんだから、それはそれで潔いかなと感じている。

 出身校が同じと言うだけで会話をしたことも、直接話したこともないのだが、昨年ワールドシリーズでMVPを獲って、今期、縦縞のユニフォームから、ちょっと安っぽい真っ赤なユニフォームのチームに移籍したメジャーリーガーは高校の後輩にあたる。
 古い話だが、甲子園で彼は5打席連続敬遠という高校野球では信じがたい仕打ちを受けた。
「少しは怒れ!」とテレビに向かってわめいたたものの、表情一つ変えずファーストベースに向かったその年寄りっぽい彼よりも、勝利のためと信じ、監督の指示を忠実に守った相手のピッチャーはどんな思いだったのだろうと、余計なお世話だが、今でも妙に不憫に思えてしまう。
それよりも、今でも許せないのは、勝利者インタビューでその監督が胸を張って言った言葉。
「**県のために、勝利のために指示しました」
これには素直に驚いてしまった!**県の人間はそれを許しているのかと、それ以来、この四国の土地には仕事でも行きたいとは思わないし、スーパーではこの県産のピーマンは買わない。
歴史のひとつの解釈をストーリーにしたのも面白いかなと大体は観ているNHKの大河ドラマも、今回はあの時代だからうけた単なる目立ちたがり屋の物語でしかないな、と全然観る気がおこらない。
 だれでもいい、その県の方が「あれはすまないことをした」と一言でも言ってくれれば、すっと収まるのだが、いまだにその機会はない。あの監督は今どうしてるんでしょうかね?
ちなみに、その時の5連続敬遠を見事にこなしたピッチャーは、私の出身大学の野球部に入部したが、チームそのものも低迷し、彼も鳴かず飛ばずで終わったと記憶している。