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2010年9月13日月曜日

浅草で一献 「駒形どぜう」と「神谷バー」

 初めて『駒形どぜう』に足を運んだときは、それなりに勇気が要ったなあ、と思い出しながら、人の手でこすれて、いつの間にか扉の向こうが透けて見える引き戸をきしませる。
 1階の座敷座りの広間の喧噪が一気に飛び込んできて、なんだかわくわくしてくるが、あぐらの苦手な私は、地下のテーブル席に向かう。
 「とりあえずビールと鍋一枚!」本当にこの『どじょう鍋』というやつは、薄くてちょこんと取っ手の付いた鍋といい、どじょうの並び方、炭の赤々と燃える専用の七輪、これまた人が長年握っているせいで細くなっている台の木箱、どれをとってもダシとネギの匂いがしみ込んですごく美しい!
 初めて来たとき、どうしていいのか戸惑っていると、隣の老夫婦のご亭主の方が、「ネギは思い切り山盛りにしな」と教えてくれたのを思い出し、山が崩れて鍋の下に落ちていきそうなほどネギを高く盛り、「よっしゃ~」などと一息ついてビールを喉に流し込む・・・・至福の時間ですな。
 枝豆とゴマ豆腐なんかをつつきながら、酒がビールから升酒にかわった頃に、ようやくダシがネギにしみ込んで、どじょうも「そろそろやんなよ」とヒゲを伸ばしてくる。

 どじょう汁のどじょうがまだ腹の中で踊っている頃、暖簾をくぐって外に出ると大川(隅田川)からの風が鬢のほつれを誘って・・・・なんて色っぽいシチュエーションだといいのだが、足は自然と雷門の方向に進んでいて、バンダイの人形をひとなでふたなでしているうちに、たどり着くのはこれまたドアを開けると一気の音量の大きくなる酔っぱらい達の話し声の渦。
ウエーターのお兄ちゃんの食券のもぎりがいまいちぎこちないなあ、などと思いながら、ここは静かに汗をかいた小さなグラスの『電気ブラン』をキュッとやる。
これまた至福のひととき。

2010年9月6日月曜日

まくらを一つ  小三治の世界

 8月31日、「柳家小三治2夜連続特別講演」と銘打たれた小三治の独演会に出掛ける。
小三治と言えば本題の噺に入る前の「まくら」の面白い噺家で、高座の座布団の横に用意された湯飲みのお茶、といっても中身を見たことがないのでそうだと思うが、これも芸なのかもしれないな・・・、をすすりながら日々の出来事をぼそぼそとしゃべり出す。いつまで続くのだ?早く本題に入れ!と叫く客は誰もいなくて、なんならいつまでもそのしゃべりで終わってもいいと思い始めた頃に、いつの間にか古典落語の噺に入っている。
 この日の演題は一つ目は『欠伸指南』小三治の師匠の小さんが寄席でやったのを観たことがあるが、そのな「ぼそぼそ」という話し方が何となく似ていると思わせる。二つ目の噺は『馬の田楽』方言が通しで使われる噺だが、これがまた味が出ていて、「味噌を付けた馬見なかったけ?」でそのシーンが目の前に出てきそうで、思わず笑いが止まらなくなった。
 落語は、見ようによっては、いいオヤジ達が座布団の上に座って、良く訳のわからない話を勝手にしているだけの姿だが、そのオヤジが、人間味そのものを引き出して、時には色っぽい後家さんや怒りっぽい長屋の大家になって、その背景の風景や動くスペースまで広がりを持って見えてくる。言わば究極のイマジネーションの世界だと私は思っている。
  さて、今回の独演会には三味線を抱えて和服姿の色っぽく高座に上がってきた「柳家そのじ」の幕間を飾った。「落語の師匠の出囃子はほぼ全ておぼえていますので、リクエストいただければ三味線で弾きますよ」と言ったものの、本当にできるのかなこの若さで、と思ったが、「先代の・・・」とリクエストがあってもさらりとこなしてしまって驚いた。彼女は落語の師匠に弟子入りする人間には極めてめずらしい東京芸大邦楽科卒業とのこと。色んな人間が世の中にいるものだと改めて感じる。

2010年9月2日木曜日

忘れないうちに・・・その3 百名山NO.83『会津駒ヶ岳』

 8月29日、前日の帝釈山登山下山中に遭遇した土砂降りで、着ているものは全部びっしょり。民宿の洗濯機を借りて、どうにか生乾きの感がある服を着て、登山靴に足を通し、いざ、会津駒ヶ岳(2,133m)へ。
宿のオヤジさんによると、昨日雷雨の中ヘリコプターの救難活動があり、駒ヶ岳のどこかで滑落事故があったらしいとのこと。「そんな事故が起こるような場所は全くないのだがな・・・・」と彼は頭をひねっていたが、その言葉通り、天気も回復し、時折秋を思わせる風の吹く中、快適な登山になった。
登り2時間位で「駒の小屋」にたどり着き、頂上付近の広がりが小屋の横の「駒の大池」の水面に映っていた。ちなみに小屋のある一帯は頂上より標高にして100m弱低い湿原で、季節的には盛りは過ぎたもののいくつかの高山植物が花を咲かせていたが、残念ながら何という花なのか・・・・
小屋から木道を通り頂上にたどり着くと、雲の間からかすかに尾瀬の名山「燧ヶ岳」が見えていた。
 下山途中、行程のほぼ半分ほどの場所に冷たくて美味しい水の流れ出る水場があり、そこでしばし涼を取る。涼しさと旨い水を求めてやってくるのは人間様だけではなく、蝶が一匹私にまとわりついて離れなかった。もしかしたら、こいつは誰かの化身かな?などと思わせるくらい私の周りから離れようとはしなかった。汗の中の塩分でも吸いに来たのかな?

2010年9月1日水曜日

忘れないうちに・・・その2  『帝釈山~田代湿原』

 今回は百名山の一つ『会津駒ヶ岳』に登ろうと福島に向かう。
連休の一日目で片付けて、後は温泉でのんびりしようと東京を8月28日早朝出発したものの、事故渋滞とかで、東北自動車道は渋滞。
 予定より2時間以上も遅れて尾瀬の北側に位置する登山口の麓の村「檜枝岐村(ひのえまたむら)」に到着。この時間から登ると下山してゆっくり温泉に入れないなと思い、行程の短い隠れた名山の『帝釈山』(2,060m)に向かう。
帝釈山から田代湿原は高山植物の宝庫で、人混みの尾瀬ヶ原より落ち着いて自然が満喫できるところだと聞いていたので出掛ける。約2時間で帝釈山の頂上、そこから尾根を伝って湿原の田代山へ。時々小さな池や水の流れる音の聞こえる目の前に広がる湿原とそれを貫く木道。花の多くは枯れていたけど、ひたすら静かなひととき。


 さて、帰ることにして温泉温泉!と歩き出すと、ごろごろと雷鳴と共に稲光の連続。
メガネにワイパーを付けたいくらいの土砂降りになるが、下りは1時間ほどだと思い雨具も付けずに下山すると、しっかりびしょ濡れ。
 その日の民宿のオヤジさん曰く、「あのあたりは落雷で一発だよ。先月も落雷直撃で一人亡くなった」とのこと。

 

忘れないうちに・・・その1 今年も利賀村のSCOT

 もう学校は始業式を終えて9月に入るというのに、遡ること8月21日、毎年恒例の富山県南砺市利賀で開催される国際演劇祭に出掛けてきた。
演出家鈴木忠志率いる多国籍劇団SCOT(Suzuki Company of Toga)がこの地に拠点を移して35年になるといい、その歴史の中で、日本国内より世界の注目がこの小さな山村に注がれていると言うことを毎年思わせてくれる。
 約2週間、新人研修に近い舞台から、世界各国の利賀で舞台をすることを一つの夢にしてきた劇団がいくつかの会場を使い公演するのだが、知っている人は毎年屋外劇場で開催される舞台を楽しみにしている。
 今回の屋外ステージの演目は『シラノ・ド・ベルジュラック』
エドモン・ロスタン作の恋愛もの舞台の定番を、鈴木流にアレンジし、日本の明治維新前後の設定に置き換えての演出は過去の鈴木演出を見ている人には、「こうなったか・・・・」と納得いさせる作り。
 この屋外劇の一つの特長は、海外からの観客も多いのだが、地元の、ご近所の観客も相当いて、富山弁があちこちで聞こえる。お目当ては芝居の中に「予算の限界」と鈴木の言う花火の打ち上げがあること、それと舞台終了後に、今回は富山県知事の鏡割りによる樽酒の振る舞いがあること。
 時間にして夜の10時過ぎまで舞台を鑑賞して、一杯やっていく知事がいること自体この演劇祭の地方主体の意味を知らしめるに十分で、一発イベントやれば次の選挙も大丈夫だなどと思っている全国の地方自治体の首長には勉強してもらいたいものだと毎回思う。

2010年8月18日水曜日

試練の最後の秘境 百名山No.82『水晶岳』(2,986m)

 前日まで台風の進路を気にして天気予報を見ていたが、8月13日の朝はスッキリとは行かないまでも、とにかく厄介な台風は去ってくれたみたい。
朝5時前に富山インター近くで合流したメンバーは私と私の息子を入れて5名、息子を外したら平均年齢半世紀を超えたメンバーが黒部源流の山々に向かう。
 タクシー会社でジャンボタクシーに乗り換えて、登山口の取り立てに向かうが、さすがにお盆のラッシュ時、ゲートを通るための長い列が連なっていた。
 以前、薬師岳に登ったときに歩いた太郎兵衛平まで順調に進み、目標の山々もスッキリ目の前に見えて、気合いが入ってきた。
 
と喜んでいたのはこのあたりまでで、これから霧が出てきて、雨が降りだし時折風も強くなると言う天気に変わる。当然、期待していた景色も足もととその周辺のみという具合で、余り語ることもない3泊4日の登山だった。
とりあえず、説明をつけて写真だけでも
1日目は絶えず川の流れの音が響く「薬師沢小屋」に宿泊、外は気温10度前後だが、雨で蒸している小屋は満室で5人に用意された布団はなぜか4枚。2日目の出発時に写した小屋とすぐ前の吊り橋。
ここから急登の岩場が続くが、雨はだんだん激しさを増し、登山道は時折濁流状態。最後の秘境雲ノ平はこのしぶきの向こうだ!がんばれ!と自分を励ます。
登り切ったものの、目の前にスッキリ見えるはずの水晶岳は影も形もなく、「どこが庭園やねん!」と叫きたくなるような風景

登山靴はすでにずぶ濡れで、子供の頃長靴にわざと雨水を入れて歩いたことを思い出したりした。
そんな道のりの中、ぽっかりと現れた真新しい山小屋「雲ノ平小屋」 なんと4日前にオープンして、
なんだかここで今日はもうやめておこうかと思ったが、まだ午前10時前。渋々先を急ぐ。

水を汲みに立ち寄った雲ノ平テントサイトで雷鳥の親子らしき4羽に出会う。

予定では、この日のうちに水晶岳に登り、翌日早くに鷲羽岳を往復する予定だったが、2日目の宿泊場所「水晶小屋」に着く頃には、雨と風は最高に達し、とりあえず濡れたものを脱ごうと小屋に入ったのはお昼ちょっと過ぎ。一度ほっとしたら、それ以上動く気にもなれず、水の溜まった登山靴に足を入れる気にもならず、そのまま、夕食のカレーをお代わりして、小屋の神棚に手を合わせて雨がやんでくれるのをひたすら待つ。
3日目。とりあえず水晶岳は登っておこうと、雨は小降りになってきたものの風は極めて強い中、濡れた登山靴に気合いを入れて足を突っ込み頂上に向かう。本当に何も周りの見えない頂上、眼鏡がひたすら曇る。
水晶小屋に戻り一服した後、真砂岳の分岐で湯俣の方に向かう。
これがまた、長く険しい下りで、足がもつれることしきり。
下っていくと共に当然ながら気温は上がり、高山植物の群れも多くなる
このあたりからはひたすら「温泉に早く浸かりたい!」の言葉だけが頭を駆け巡り、それに合わせてか麓から硫黄の匂いが立ち上ってきた。竹村新道を湯俣岳手前のカールあたりから、ちらりと野口五郎岳が見えて、谷の下にはかすかに五郎池。


今回の登山で一番の幸せを感じたのは、たどり着いた温泉付き山小屋「青嵐荘」
なにせ、3日分の汗を源泉掛け流しのお風呂で落として、ついでに川原に点在する露天風呂にも浸かる。

風呂上がりのビールがしみることしみること・・・・
川原を15分ほど散歩すると、硫黄が吹き出してこんもり仏舎利塔みたいな形になった「噴湯丘」なるものがあり、どこかその辺を掘ればお風呂になるような感じ。

道端の壁に遭難碑のプレートが貼ってあり、よく見ると「金沢医科大学山岳部」とあった。

この青嵐荘は昭和7年に作られ、一度土砂災害で崩壊し、昭和17年に再建されたという。この秘湯という表現がぴったりのお風呂はここだけのためにもう一度来たいものだ。お風呂の脱衣所にあった成分表は昭和37年に書かれたもので、適応症の中に「陳旧性梅毒」などと言う文字もあった。


2010年8月8日日曜日

反対側からの眺め 余呉湖から横山岳

 私にとって、ひたすら静かでほっとできる風景の中でも一、二位に挙げられる場所が、滋賀県北部にある「余呉湖」の湖畔からの風景。写真は春先の余呉湖の風景だが、真夏の今日訪ねてもほとんど変わらない風景で、湖畔に釣り糸をたれる人たちがちらほら見られる程度。
 何度か来ているこの景色の中で、湖の奥、写真では雪を拝したスッキリした双耳峰の山が、以前から気になっていた。
 ということで、今日は反対側からの風景を見てみようとこの双耳峰『横山岳(1,131m)』に登って来た。
 この山にはいくつかの登山道があるが、この暑い日が続く天候では、少しでも水の近くを歩きたいと滝がいくつかあるコースの白谷コースを登る。
 登山口で近所の人だと思われるおじさんが寄ってきて、このコースを薦めてくれたこともあり、楽に登れると踏んでいたが、これがちょっとしたくせ者で、なにせ近所の人は何度も登っていて庭みたいなものだろうが、初めて来た者にとって、登山道の印である赤符が全然無い、その上、小川を何度も渡るので踏み後もなかなか見分けがつかない状況のコースはワイルドだと言えばワイルドだが、ちょっと戸惑う。
 それでも、登っている人は他にもいて「五銚子の滝」で記念写真を撮る高齢者女性団体、いわゆる「登山よりおしゃべりおばちゃん団体」に出会い、滝に近付くとそれなりの涼風を味わえた。

 滝からも小川からも離れてからが、これがまたなかなか大変で、ロープの急坂を汗だくになって登る。頂上は何でもない広場で三角点があるきり、そこからの下山道各コースの表示もどこを指しているのかよくわからない状況。

 どうにか尾根道を探し出し、双耳峰の片方「東峰」に向かうと、それなりに周りの尾景色が望めるようになり、見たかった反対側からの眺め、横山岳から余呉湖とその後ろに大きく広がる琵琶湖が見えた。
 ブナの林を抜けて、ひたすら下山すると、林道に出て、そのすぐ近くにある「夜這いの水」で渇いた喉を潤した。何でこの名前がついたのか知りたい気持ちはあったが、山から這って出てきたからこれで正解かなと納得して林道を登山口まで歩く。
 途中、道路に溜まった水たまりにひらひらと蝶の姿が見え、写真に撮る。どうも、ムラサキアゲハのようだ。
 立派な登山用の地図も作っているくらいだから、登山道そのものの標識灯の整備をしてもらいたいと思った次第。あのおばちゃん団体は日暮れまでに下山できたのかな?