その20分ほどの道のりの間に広い敷地の公園があり、時々そこを横切って走るのだが、
そもそもこの公園は、私が小さい頃までは「大和紡績」という会社の紡績工場で、工場の周りを囲むコンクリート塀のすぐ隣に同級生の家があり、当時お金持ちの子息しか持ってなかった色んなゲームのある彼の家に、そのゲーム類を目当てに通ったものだ。でも、目当てはゲームだけじゃなく、2階の彼の部屋からこの紡績工場の塀の中が見えたこと。休憩か終業のチャイムが鳴ると、作業者が工場の味気ない建物から出てくるのだが、そのほとんどが女工さん、つまり若いお姉さん達だった。その人数の多さと彼女らの嬉々たる様子が、小学生の私にはちょっとした興奮ものだったことを憶えている。
その後、工場は閉鎖され、金沢市の管理になり、「糸を紡ぐ工場から、創作の夢を紡ぐ空間へ」をキャッチフレーズに、演劇、美術、音楽のセクションに分けて市民のための施設として解放されている。工場当時の煉瓦造りの建物の一部を利用して、24時間開放していると言うことを評価され、グッドデザイン賞のグランプリも受賞している施設で、石工、瓦職人、左官業、造園などの職人を養成する金沢職人大学校も併設されている。
うちの子供達もこの芸術村の子供向けプログラム「ドラマキッズクルー」でお世話になり、
毎年一度の舞台に向けて練習をする彼らを、ここに送り迎えに来たものだ。
もっとも、工場跡がすべて建物ではなく、というより建物は敷地のごく一部で、残りのスペースは広大な芝生の公園「大和町広場」となっていて、休日にはグランドゴルフをやったり、家族連れが球技をしたり、凧上げをしたりしている。
大きな木は針葉樹ではあるものの不案内な私には何の木だかわからないが、
その形が枝の伸び具合からすごく美しく、幹の太さからはるか昔からこの地にあったものだと思われ、
あの女工さん達もこの木陰で弁当でも広げていたのかと想像させてくれる。