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2010年3月22日月曜日

春の兆し

 雪が解けて、南の方から桜の便りが届き出す頃、毎年しっかりやってくるのが「花粉症」
もうすでに20年以上付き合っているこの一連の症状は、今や国民的行事の一つにまでなっているようではあるが、初めてこいつがやってきた時は、ひどく驚いて慌てふためいてしまった。
その20数年前の初対面(鼻)?は鎌倉の山でのことで、某シンガーソングライターの歌詞にある「源氏山から北鎌倉へ、あの日と同じ・・・」と口ずさみながら春の風景を楽しんでいたのだが、突然、源氏山頂上あたりで、鼻水が止まらなくなった。なんだこりゃ、と思いながら持っていたポケットティッシュを瞬く間に使い果たし、ハンカチがティッシュ代わりになり、挙げ句の果てには鼻をかみすぎて、鼻血まで飛び出す始末・・・・。それ以来鎌倉という土地の名前を聞くとくしゃみが出てしまう(笑)
 それにしても、これだけ長い期間毎年症状が出るのに、いまだに免疫も出来ず繰り返される学習能力のない自分に情けなさを感じながら今日もハナタレオヤジである。
 それに加え、このところ春の厄介者の一つに「黄砂」がある。こいつは年中大陸から中国三千年の歴史!とわめきながらやってきているようだが、春は花霞、と情緒豊かに季節を詠む日本人には、自然を愛でる気持ちをぶち壊す不届き者の砂埃で、二酸化炭素排出量と共に黄砂排出量も国際的に規制してもらいたいと思うのは私だけじゃないと思う。
 まあ、自然環境に抵抗しても、長い地球の歴史の中のほんの短い人間の営みの中では、慣れるしかないと思わせる現象ではある。
 ところで、うちの春の兆しの一つに、カメの冬眠からの目覚めがある。この通称ミドリガメ、ペットショップで、つぶれた草餅みたいにへらへらと泳いでいるあの種のカメで、1匹360円くらいで購入したもので、それがすでにうちに居着いて10年以上が経ち、甲羅の大きさは半径20センチは超えて、エサを食らうときの顔はまさに凶暴なガメラのそれである。正式にはアカミミガメというらしく、ペットショップにごちゃごちゃ固まっているいるやつの原産はアメリカ・ミシシッピーのようだ。
 毎年冬、寒くなると、首も手足も引っ込めて動かなくなり、こいつは死んだのかな、と放置しておくが、暖かくなるともぞもぞと動き出している。本当に死んだ奴もいて、最初3匹だったのが、1匹に減り、玄関で日向ぼっこさせておいたら、どこかの誰かが、「うちのカメもらって下さい」と1匹持ち込んできて、2匹体勢が5年ほど続いている。
彼らに名前は無くて、私は勝手に「カメ子」と呼んでいるが、日を浴びて目を細めて、時々、息をする音なのか「ミュウ」と云うような声を発する。

春待ちの知床

 知床の山では、かつて『羅臼岳(1661m)』に夏に登ったものの、世界遺産登録の影響で観光客がわんさかいる状態で長居はしたくなかったので、それ以上踏み込んで知床を見ようとはしなかった。今回は網走にある大学に在籍していた娘の卒業式もあり、冬の季節ならばとウトロ温泉に浸かりに行くことをメインに知床に出かけた。
 前日の強風時折吹雪の天気から一転し、快晴の中、ウトロのまったりとしたお湯の余韻を抱えて、これより先は積雪のため道路閉鎖という「知床自然センター」へ到着、そこからスノーシューを履いて片道30分ほどの遊歩道を『フレペの滝』を目指して歩く。
 灯台をバックにエゾシカの群れが見えだして、遊歩道のコース関係なくシカの群れに近づいていくが、彼らは人間になれているのか全く驚く様子もなく、といって奈良の鹿みたいに「エサをよこせ!無いなら買ってこい!」という感じの凶暴さはなくて、穏やかに、というより雪解けの中わずかに顔を出した草の芽を必死に掘り起こして食べている様子。














 ふっ、と振り返ると真っ白な雪山が大画面で連なっていた!右一番手前の羅臼岳から『三ツ峰』『サルイシ岳』『オッカバケ岳』『知円別岳』『硫黄山』と連なる姿は感動と共に「こりゃ、いつかこの山々は縦走しなくては!」と熱いものがわいてきたりした。

 













帰り道、芽が出たばかりの葉っぱでは空腹はそれほど満たされないのか、大きな角を持った雄の鹿が近くをふらつくように歩いてきて、「ここにも鹿せんべい置いてくれよ~」と言いたそうな顔で、自然センターの建物の方に歩いていった。














 自然センターのお姉さんに聞くと、夏場、羅臼岳から硫黄山までの縦走は多少迷うかもしれないが、テントを抱えていけば2泊3日で行けるとのことだが、気をつけなくてはいけないのは、なんと言っても熊の出現だとのこと。ついでに硫黄山の先の知床半島の突端にある知床岳までは、全く登山道というものが無く、熊との格闘も覚悟で、詳しい地形図を持っていけばたどり着けないことはないが難しいとのこと。
 かつて、北方領土元島民墓参団のオマケとして付いていった私は、国後島沖から知床岬を震えるような感動を持って見たが、その反対の風景が見てみたいという思いはどこかにある。「しれ~とこ~のみさ~きは・・・」といつかは唸ってみたいものだ。などと考えていると目の前の海岸をオジロワシらしき大きな鳥が横切っていった。