朝5時前に富山インター近くで合流したメンバーは私と私の息子を入れて5名、息子を外したら平均年齢半世紀を超えたメンバーが黒部源流の山々に向かう。
タクシー会社でジャンボタクシーに乗り換えて、登山口の取り立てに向かうが、さすがにお盆のラッシュ時、ゲートを通るための長い列が連なっていた。
以前、薬師岳に登ったときに歩いた太郎兵衛平まで順調に進み、目標の山々もスッキリ目の前に見えて、気合いが入ってきた。
と喜んでいたのはこのあたりまでで、これから霧が出てきて、雨が降りだし時折風も強くなると言う天気に変わる。当然、期待していた景色も足もととその周辺のみという具合で、余り語ることもない3泊4日の登山だった。
とりあえず、説明をつけて写真だけでも
1日目は絶えず川の流れの音が響く「薬師沢小屋」に宿泊、外は気温10度前後だが、雨で蒸している小屋は満室で5人に用意された布団はなぜか4枚。2日目の出発時に写した小屋とすぐ前の吊り橋。
ここから急登の岩場が続くが、雨はだんだん激しさを増し、登山道は時折濁流状態。最後の秘境雲ノ平はこのしぶきの向こうだ!がんばれ!と自分を励ます。
登り切ったものの、目の前にスッキリ見えるはずの水晶岳は影も形もなく、「どこが庭園やねん!」と叫きたくなるような風景
登山靴はすでにずぶ濡れで、子供の頃長靴にわざと雨水を入れて歩いたことを思い出したりした。
そんな道のりの中、ぽっかりと現れた真新しい山小屋「雲ノ平小屋」 なんと4日前にオープンして、
なんだかここで今日はもうやめておこうかと思ったが、まだ午前10時前。渋々先を急ぐ。
水を汲みに立ち寄った雲ノ平テントサイトで雷鳥の親子らしき4羽に出会う。
予定では、この日のうちに水晶岳に登り、翌日早くに鷲羽岳を往復する予定だったが、2日目の宿泊場所「水晶小屋」に着く頃には、雨と風は最高に達し、とりあえず濡れたものを脱ごうと小屋に入ったのはお昼ちょっと過ぎ。一度ほっとしたら、それ以上動く気にもなれず、水の溜まった登山靴に足を入れる気にもならず、そのまま、夕食のカレーをお代わりして、小屋の神棚に手を合わせて雨がやんでくれるのをひたすら待つ。
3日目。とりあえず水晶岳は登っておこうと、雨は小降りになってきたものの風は極めて強い中、濡れた登山靴に気合いを入れて足を突っ込み頂上に向かう。本当に何も周りの見えない頂上、眼鏡がひたすら曇る。
水晶小屋に戻り一服した後、真砂岳の分岐で湯俣の方に向かう。
これがまた、長く険しい下りで、足がもつれることしきり。
下っていくと共に当然ながら気温は上がり、高山植物の群れも多くなる このあたりからはひたすら「温泉に早く浸かりたい!」の言葉だけが頭を駆け巡り、それに合わせてか麓から硫黄の匂いが立ち上ってきた。竹村新道を湯俣岳手前のカールあたりから、ちらりと野口五郎岳が見えて、谷の下にはかすかに五郎池。
今回の登山で一番の幸せを感じたのは、たどり着いた温泉付き山小屋「青嵐荘」
なにせ、3日分の汗を源泉掛け流しのお風呂で落として、ついでに川原に点在する露天風呂にも浸かる。
風呂上がりのビールがしみることしみること・・・・
川原を15分ほど散歩すると、硫黄が吹き出してこんもり仏舎利塔みたいな形になった「噴湯丘」なるものがあり、どこかその辺を掘ればお風呂になるような感じ。
道端の壁に遭難碑のプレートが貼ってあり、よく見ると「金沢医科大学山岳部」とあった。
この青嵐荘は昭和7年に作られ、一度土砂災害で崩壊し、昭和17年に再建されたという。この秘湯という表現がぴったりのお風呂はここだけのためにもう一度来たいものだ。お風呂の脱衣所にあった成分表は昭和37年に書かれたもので、適応症の中に「陳旧性梅毒」などと言う文字もあった。