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2013年3月1日金曜日

お砂糖半分

 正式には何と呼ぶのか知らないけど、砂糖が小分けに入っている袋、シュガースティック?とか言うのかな?(どこぞの商標名だったらごめんなさい)
普段、コーヒー類に砂糖は入れないので、とあるデザイン研修の時に一つの教材として出てきて、久々に見た感じがした。

 そのシュガースティックを見るとある1人の友人を思い出す。
その友人はコーヒー、紅茶に砂糖を入れるとき、おおよそを見計らい「半分」をカップに注ぎ込むことをいつもの習慣にしていた。何度かその仕草を見ているうちにあることに気がついた。
それは、その袋の内容量がどれだけであろうと、大体内容量3gもしくは5gが主流のようで、時には7gというものもあるが、どの袋からも友人は「半分」を入れるのだった。
時には、角砂糖が2個入って紙で包まれたものが出てきた場合、そのうちの1個だけをカップの中の液体に沈めていく。
要は内容量にかかわらず彼の最適な量はいつでも「半分」なのだ。
 

 試しに、なぜそうするのか?と聞いたら、
「いいじゃない、それが俺の主義」とあっさりかわされた。

本人がそれで納得していれば他人がとやかく言うことではないか、とこのシュガースティックを見るたび思うのである。

それにしても、残った半分はもったいない。

2013年2月25日月曜日

「左義長まつり」福井・勝山にて

 左義長と言うからには、しめ縄やしめ飾り、お札、書き初めなどを燃やす、いわゆる「どんど焼き」行事でしょう?
それに「奇祭」とあえて付けるほどのものなのか?などと冷やかしのつもりで出かけた勝山の旧市街。
 
 

 雪が時折降る中、何だか紅白の仰々しい「奇祭 左義長まつり」ののぼりと、そこら中の電線にぶら下げられひらめく色短冊と呼ばれる紙。
そして、三味線と笛の音が軽快なお囃子の音がだんだんと大きくなってきて、「おっ、これは・・・」と祭り好きの私はいつの間にかうきうきとしてきて、妙に足早になり、櫓(やぐら)と呼ばれる踊りと太鼓の屋台が現れる。


 現在は12基あるこの大きな舞台、普段は各町内の専用の倉庫に収納されているが、祭りの日だけ表に出してくるようだ。

 

 この櫓にはご神体である松飾りが横にセットで立っている。

 
 櫓の上にはしっかり三味線・笛そして歌い手の生楽団がいて、太鼓には踊りながらバチをひらひらと回転させながら太鼓のリズムを刻む叩き手が二人と、音があまり大きく響かないようにと太鼓の上に座る一人の構成。


 
本来はこの太鼓の叩き手も年功序列があるようだが、若者たちの躍動感が目に付いてしまう。
なんだか全国的になったよさこいソーランとやらのような体育会系動きが見ていて気持ちが良い!

そのなかでも、10代、といっても小学生から高校生までの少女たちが、ここ独特の短いバチを持ち、そのバチをくるくる回す指のしなやかさ、媚びるまではいかないまでも、しなを作り踊る仕草は、これまた長い伝統の中で受け継がれてきたものなのかと感じてしまい、時々ドキドキしながらその動きを追ってしまう。

 

 お囃子の歌は何度も何度も繰り返されるのだが、その「だいづる」と呼ばれるお囃子は、もともと座敷歌、つまり男女の戯れ歌としてできたようだが、その歌詞がなるほどと唸らせてくれる。
「蝶よ花よ 花よのネンネ まだ乳飲むか 乳首はなせ乳首はなせ」
少女よ、そろそろ目覚めよ、もしくは目覚めさせよ・・・というところかな。

もともと、全国に伝わる祭りの多くは神事というかたちをとりつつ、
「今日は無礼講だから飲んで騒いでいいぞ!」という各地の領主のお許しの中で行われてきたと思う。
それは若い男女の出合いから、あるべき男と女のかたちが認識されて、やがては子宝にも恵まれ、領内の人口増加にもつながってきたと思う。
ちなみにお囃子の間の囃子ことばもこんなセリフ
「そら浮け、もっと浮け、横町のはにゃよめは よう浮く、よう浮く」
う~ん、深いなあ・・・

 
 
 そんな若い者たちをしっかりバックアップしているという意識か、「まだまだ大人たちも頑張ってるぞ!」と言う気持ちからか、その家の商売道具や日常品を使って年を表す「作りもの」
これは古いそろばんで形作った今年の干支のヘビで、この作り物には「シャレ」を織り込んだ「書き流し」(短歌)が後ろにありセットで家々の座敷に飾られている。
 

 そしてもう一つ、無礼講の歴史の一つの「絵行燈」

風刺川柳に近いものだが、江戸の時代は藩主がこの祭りの時は言いたいこと何でも言っていいぞとお許しが出たとのことだそうだ。

 

 大人や若者だけじゃなく、子供や観光客も呼び込まなくてはと、懐かしい縁日屋台もたくさん建ち並ぶ。
 
スマートボール


チョコバナナ
三色餅なるもの

犬もお揃いの法被姿

 そんな街中を12基の櫓を巡って歩いていると、懐かしい下駄屋さんの店先に目がいった。

かつては色町もあったこの土地で、蒔絵の施された高下駄などもたくさん作られていたとのことを、店主のおじさんが説明していた。蒔絵もすごいのだが、木の下駄の上に雪駄のような畳の素材のクッションが付いている。
おじさんが取り出したのは、「ご婚礼用はきもの目録」というもので、昔は嫁入りにはこれだけの履き物をセットで用意していたものだとのこと。しかも、しっかり松竹梅のランク付けがされている。
 次におじさんが取り出したのは、檜の柾目の薄い板。

特に男物の下駄は柾目のものが良いとされてきたが、下駄全部を柾目にするには相当な金額になったようで、下駄の表面だけを柾目にして、その「粋」を表したようで、そのために貼り付けられる薄い板だとのこと。
ついでに、横にある黒い皮の紐のようなものは、下駄の鼻緒の緊急修繕用のパーツで、「あれ?時代劇では、よく手ぬぐいを引き裂いて鼻緒の代わりにしている色男が出てくるけど、違うんですね?」というと「そんな面倒なことはやってられないよ」とのこと。

 祭りだから、当然一番のスポンサーである酒蔵はその名前が名前だけに、「今日は無礼講だ!どんどん飲んでいけ!」と振る舞い酒をと期待して行ったが、明日の酒蒸し饅頭の仕込み中で、その手の振る舞い酒の姿は無し。

寒くなってきたので、一杯やって暖まれるともくろんだけど、ちょっとがっかりして、お囃子の音を背中に退散する。

左義長まつり:公式ホームページ
http://www.city.katsuyama.fukui.jp/kankou/sagityo/