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2010年11月3日水曜日

小春日和に近場の温泉 曲水温泉

 数日、冬のような寒さの雨降りの続いた金沢に、ちょっとお休みといった感じの穏やかな天気の今日。
 ほっとするような日本映画を観てきた。芥川龍之介の短編小説を映画化したという『トロッコ』
台湾の地が舞台だが、日本と台湾の関係というか位置づけを親子三代の視点で語られた作品だと私は感じた。あいにく画像がないのでHPでhttp://torokko.com/story.html
もしくは実際に映画館に足を運んで詳しくはご覧あれ!

 物語の中だけの表現ではないと思うが、過去に日本は台湾という場所に多くの社会設備を整備し、それが今でも台湾国民の心に感謝や尊敬の気持ちとして残っているようだ。
 映画では、かつて日本に行くことに憧れていた老人が、日本人が作った山の中の木材運搬用の線路に「日本人は何でもちゃんとしたものを作る」と尊敬の念を持っていて、この線路の上をトロッコに乗ってずっと行くといつかは日本に行けると信じていた、と言わせた。

 「ちゃんとしたものを作る日本人」は、おそらく高度成長期の前までは実像として存在していたのだろうな・・・「ちゃんとしたものを作る」姿勢や技術が無くなっていくと、ろくに当たりもしない兵器ばかりを作り、それを消費するために戦争をけしかけることが国策だと考えている某大国と同じになり、不良品を量産しても安ければ売れて、叫いたらなんでも通用すると大きな錯覚をしているどこぞの「気分の悪い国」などになめられてしまうのだろうな・・・・若者よ、ちゃんとしたものを作るちゃんとした人間になれよな!

 などと考えていると、せっかくに休日がもったいないので、映画の後は温泉に出掛けた。
金沢に住んでいると言うと、相手からまず出てくる言葉が「美味しいものが沢山取れるところよね」と次に言われる頻度が高いのが「いい温泉が一杯あっていいね」
それで、どこの温泉を指しているかというと、山代、山中、片山津の加賀温泉郷か、能登の和倉温泉。何が金沢じゃ?と眉間に寄せれるだけシワを寄せて言いたいところだが、そこは押さえて、「金沢市内にも温泉はあるんですよ・・・例えば、百万石の奥座敷と呼ばれ、竹久夢二も愛した湯涌(ゆわく)温泉とか」とお教えすることにしている。
 金沢の街中から、その湯涌温泉のこじんまりとした温泉街にたどり着くちょっと手前にひっそりとあるのが「曲水温泉」。日本秘湯を守る会の会員宿でもある「曲水苑」一件の温泉で、温い露天風呂に使って山の風景を眺めていると、のんびり眠たくなってくる。

ほんわかする「間」の世界 東京乾電池公演

 高円寺にこんなに素晴らしい劇場があるとはしなかったな~、というよりそもそも高円寺という場所に来たのが人生初めてで、ねじめ正一や椎名誠のようなごつい顔した輩が商店街を闊歩しているのかと、これまでちょっと近寄りがたい場所であった。
 
 そんな高円寺の「座・高円寺1」での東京乾電池の芝居。タイトルは『長屋紳士録』
戦後の貧しい庶民の生活を描いた小津安二郎監督作品を舞台化したものだが、気になったのが金曜日の夜の公演にもかかわらず、客席238席のうち半分強ほどしか埋まって無くて、昔からの東京乾電池ファンの私にしては申し訳なくなるような入場者数。
 それでも、柄本明やベンガル、綾田俊樹というそうそうたるメンバーが登場し・・・、そうか!もしかしたら、この最近ちょっと年を感じさせる大御所三人が、オリジナルメンバーとして東京乾電池の芝居に今も出演しているとは思わない人が多いのかな?それでこの入りかな・・・・などと考えながら開演を待っていると、入り口に寿司屋のネタの表示みたいに配役の名前がぶら下げてあった。
 
 なんでも「本公演は、出演者の組み合わせが日によってかわります」とあり、「ダブルキャスト、トリプルキャストは他にもありますが、本公演はスクランブル(ごちゃ混ぜ)キャスト」とのことで、配役札は毎日違う風に付け替えられることになるのだろう。
なんとも不思議な、新しい試みに驚きながら「今回限りの生の面白さ」と唱った舞台を観ていた。

  選んだ題材が小津安の映画というのは極めて狙い通りのネタだなと感心してしまった。
小津安の持つ画像の中の定点から見る「間」を、乾電池は舞台装置の定点から展開する「間」に置き換えていたように感じた。ほんわかほっとする芝居を観た。

2010年10月31日日曜日

35年ぶりの白山

 近い所にいると、いつでもいけると思っているせいか、なかなか行けない場所は誰にでもあるもので、私には「白山」がその典型だった。
 10月2日、快晴の空、
当初は「初心者になって白山に登ろう!」と声をかけたら、10人の知り合い達が、同行すると言っていたのだが、残念ながらそこは初心者っぽく私の計画倒れ。運動会や町内の行事が重なったり、仕事でどうしても手を離せないという参加予定者が次々と現れ、結局、グループのインストラクター役にと声をかけた「白山の自然を考える会」のメンバーで、ここ数年一緒に色んな山に登っているベテランの友人と全くの素人で登山はおそらく初めてという女子大学生、そして私の3人での山行になった。
 35年前、当時中学生の私は山岳会に所属していた伯父夫妻と父親、そして山岳会のメンバー数人で確かに白山に登ったのだが、その記憶はほとんど残っておらず、ご来光を眺める参加者の中に私がいるという写真を見た事がある、という記憶だけの白山。
 ひたすらのんびり行こうと言うことで、8時過ぎに市ノ瀬のバス停前に到着し、登山口の別当で会いに着き砂防新道の登山口を歩き始めたのは9時ちょうど、天気が良くて気温も適温、こんな時の登山は妙に軽く感じて、中飯場、別当覗、立て替え中の甚之助小屋、南竜分岐と教科書通りに、ポイント毎の休憩と順調に進んで、約4時間半で室堂センターに到着、


翌朝は雲行きが怪しく、ご来光は拝めそうにないという天気予報だったので、そのまま御前峰の奥の院に向かう。白山はこれほど綺麗で穏やかで、色んな方向の顔を持っていることに感じさせられながら足を進めた。
 
同行の友人は毎年白山に登りこの奥宮で柏手を打たないと気持ちがすっきししないとの事。
言われてみれば、私は毎年正月の初詣は麓の旧・鶴来町にある「白山ひめ神社」に出掛け、一年の無事を命の水の源である「白山」に感謝の気持ちを伝えているが、それを白山に登ってこそその気持ちは自分自身にも納得がいくものだと改めて感じ、来年からは体が続く限り年に一度は白山に登ろうと思った。