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2011年10月10日月曜日

震災から半年

 もたもたしていても、生活ができないとどうしようもない、
というのが本音だろう。
東北の被災地はどこもいつまでものんびりはしてられないので、
必死に自活の道を探して進んでいる。
 仙台の郊外にある人気のラーメン屋さんのトイレにこんなものが貼り付けてあった。

百名山no.91『飯豊山(いいでさん)』(2105M)

9月23日(金)秋分の日
前日、前々日と台風15号が東北地方を直撃し、東北道、磐越道など主要高速道路が通行止めになり、まさに這々の体で郡山にたどり着き、今回の飯豊山はどうなるものやらと半分あきらめかけていたが、朝起きてみるとすっきり台風一過の天気。

郡山から磐越道を会津坂下インターで降りて北上し、登山口の川入に到着。
登り初めて、すぐに土地の大木が聳え立っていて、今回の登山の面白さが期待できそうだ。


第一の目標の「横峰小屋跡」まで3時間。
その間、ちょうどいい間隔で休憩スペースがあり、「下十五里」「中十五里」+「銀明水」「上十五里」と続き、地蔵山からの尾根道に出てくる。







剣が峰の岩場の稜線を過ぎて三国小屋に到着。

小屋にはオヤジさんがひとり、なんだか「ここは中間点でちょこっと休憩していくだけの小屋なので、人気がないのよね」という感じで、ひっそりと自分の昼食を作っていた。
種蒔山を越えて、この日の宿泊先の山小屋「切合小屋」に到着したのは、14:30過ぎ、
ちょっと早いかなとは思ったものの、小屋でのんびりしようと思っているうちに、泊まり客は次々とやってきて、冷えてきた外気を隔てて、小屋の中はほどよい熱気に包まれる。
あと2日で今年の営業は終わりというこの小屋、お米を3合持ち込めば宿泊費が1000円安くなる。

9月24日(土)

朝、冷え切った空気の中ご来光を拝む。
切合小屋の親父さんは、長年の経験がそのまま体に染みついているような、ホッとする仙人のような雰囲気の方で、「ちがう季節にまた来てね」といわれると、「ハイ!ぜひ」と返事してしまった。
そんな小屋から飯豊山に向かう。
「草履塚」から白い衣をまとった姥?「姥権現」



  岩場からは飯豊山本山の姿が近付いてくる。


本山小屋に着き、隣の飯豊山神社にお参りする頃には風が冷たくなってきて、頂上への最後のアプローチ。霧と風で回りの景色は全く見えない頂上。



下り道、三国岳手前から望む本山、ここも飯豊連峰と呼べるいくつもの山々が広がってうねっているような壮大さ。
白いマツムシソウを初めて見る。



飯豊山へ行ったら、ふもとの山都町で蕎麦を食べるようにと、知人からいわれていたので、
お風呂で汗を流すより先に、ふもとの集落で蕎麦をごちそうになる。
のんびりと陽だまりの中、蕎麦をすすりながら、そこのおかみさんに聞くと、切合小屋の親父さんはこの部落の人だとのこと。

百名山NO. 90『朝日岳』(1870M)

9月17日(土)
今回は3人で実質日帰りの朝日岳を目指し、午後3時仙台駅で集合と約束したのだが、誰もが目指していた集合場所「伊達政宗像」が存在せず慌てふためき、代わりに駅のごちゃごちゃしたところで、大音響でファッションショウなるものをやっていて、見るからに「今から山に登ります!」という場違いな格好の我々全員が顔を合わせるのにエラく時間が掛かったという珍道中が始まった。

最近、レンタカーでも中古車を利用して安く借りれるところがあるというので、利用してみることにしたが、何だかよくわからないレンタカーのフランチャイズで、米屋のお兄ちゃんが店にしている仙台駅前の場所を探すのにまたまた苦労してしまった。
何を思ってか、このフランチャイズの千葉の本部は、仙台店の電話番号を教えようとせず、ひたすら「ご不明な点があったら本部のフリーダイヤルにお掛け下さい」の一点張り。千葉のお姉ちゃんが、仙台駅前ヤマダ電機周辺のごちゃごちゃの地理が説明できるのか!と借りる前から怒ってしまったが、何事も経験と走行距離8万キロの聞いたことのないトヨタのステーションワゴン車に乗り込む。
この車本当に日本製?エンジン始動でアクセルを踏んで300mくらいで、オートマにもかかわらずギアチェンジの瞬間みたいな引っかかりを感じるが、時間がおしていて、今夜の宿に予定時間に着かないとおまんまの食いっぱぐれになる!急がねば!とだましだまし走らせ、たどり着いたのが
山形県大江町の左沢(あてらざわ)温泉。
すでに予約していた到着時間の6時をとっくに過ぎ、暗くなった7時ではあるものの、シンと静まりかえった温泉街?に一つの明かりの付いた建物。
あたふたと「こんばんは~遅くなりました!」となだれ込んだ私たちに年齢不詳のおばちゃんがにっこり出迎えてくれたが、4階建ての旅館に今夜の客は私たち3人だけ。
こんなに食べれない!というくらいの夕食をそそくさと片付け、
それでも温泉のお湯はよかったな。

ちなみに中古車のレンタカー屋さんは当分やめようと思った。

9月18日(日)
夜が白々と明けてきた5時過ぎ、ひっそりと見送りもない旅館を出ると、旅館の表に大きな看板が掛かっていた。「奴隊出場所」何じゃこれはと周りを見渡すとしめ縄やら紅白の幕やら・・・
この日はこの町最大の祭りの日だったようで、祭りの前の静けさという感じだろうか。

午前6時半過ぎ、小雨降る古寺鉱泉登山口に到着。
登山道がこの日泊まる予定の古寺鉱泉の玄関の前を通るので、ひと言挨拶して登ろうかと思ったが、ちょうど朝食時で忙しそうだったので、そのまま道を進んだが、この時ひと言挨拶しておけば、この日の苦労は半分になっていたかもしれない。

歩くこと1時間半ひとしきり汗もかいたところで「一服清水」という水場。ホッと一息。


続いて「三沢清水」水場という寄り給水所。ビニールホースがちょっと興ざめ。


ここらたりから朝日岳というより朝日連山というにふさわしい同じくらいの眺めの山が続いてくる。
登り初めて約3時間で『古寺山(1501m)』その30分後に『小朝日岳(1647m)』
喉の渇きにグッドタイミング!という感じで「銀玉水」
うまい!と叫んでしまった。

そして、お昼ちょっと前に大朝日小屋に到着。
とりあえず、大朝日岳頂上を拝んでくる。




なだらかな稜線が連峰の表現をしっかり表している。

さて、大朝日小屋で昼食をとって、下りはどうしようかと小屋のおやじさんに聞いてみると、
予定している鳥原山からのコースは、湿原があるといってもこの時期花は全部終わっているから対して面白くないよ、そうだなマイタケぐらいどこかに出てるかな、とのお言葉。

実は頂上の向こう側、西朝日岳の方面に「金玉水」なる水場があるようで、銀玉であれだけの美味しい水だからさぞ金玉は、それこそ股間にしみるくらい旨い水だろうと期待していたが、それよりも鳥原山を越え、湿原を越えて「田代清水」なる水場があるから、そのコースにしようと、どちらかというと、なだらかで景色がいいのはわかったが、いまいちポイントのない山登りに、同じところを戻るのも芸がない!の気持ちが強く、そのコースを選んだ。

15:30鳥原山到着。
通常この時間には山小屋に到着してしかるべき時間だが、今夜は温泉の山小屋なので、ちょっと遅くなっていいかと、小朝日、大朝日の姿を何度も振り返りながら下山道を進む。


ここからが、本当にこのコースは人気がないのだなと実感させてくれる時折ブッシュやぬかるみが出現、山小屋のオヤジの言葉が脳裏に蘇ってきた。
ちょっと日がかげりみんな無口になってきて、更に追い打ちをかけるように期待していた「田代清水」は朽ち果てた看板と壊れたホースだけで、おそらく3年前には水は涸れていたと思わせる廃墟となっていた。
もっと疲れさせたのは、持参した山の地図の到着タイムには全然たどり着けず、結局古寺鉱泉の扉をくたくたになって開けたのはすっかり暗くなった18:00。

小屋の若旦那は「行く時、ひとこと言ってくれればアドバイスしたのに」としきりに話すが、なにしろ疲れ果てた体に温泉がじんわりしみ込んで、並んだ山菜料理をすっかり平らげた。
夕食の席で、毎年釣りでこの宿に泊まっているという常連客のオヤジさんから頂いた焼酎、会津若松から来たというボランティアの2人が、「今年の酒までは飲めると保証できるが、放射能の影響で来年はどうなるか・・・」と頂いた福島の大吟醸のお酒。

なにしろぐっすり寝れた。