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2013年7月9日火曜日

アンコールのアンコールはもう無いかな・・・

 世の中には世界遺産巡りを趣味にしたり、時にはライフワークにしてしまう方がいるようだが、スタンプラリーのたぐいが好きな私にはその気持ちはそれなりにわかる。
ただ、自然遺産はまだ環境保護の立場でそれなりに規制がかけられるようだが、文化遺産の方はひたすら「地方の活性化」とか「観光資源の活用」が優先され、何しろどこも人がごった返していて、その町に住む人々はその人をこなすことだけに日々を過ごしているように思う。
本来は歴史的文化遺産とそこに生きた人々の歴史を来訪者に伝え、長くそして広くその歴史を引き継いでもらうことが本来の目的だとは思うが考え過ぎかな。
 

ということで、あまり深く考えないで一度は行ってみようか、おもしろくなければその一度で充分で、
「話のネタ」の収集のためにとアンコールワットに出かけてみることにした。

ベトナムのホーチミンから乗る飛行機はその名も「アンコール航空」
遺跡のあるシュムリアップという町まで飛ぶ。
もちろんここにも日本人はたくさんいて、飛行機の座席の回りからは関西弁が時折聞こえたりした。
そういえば、このカンボジアという国に入国するのにはビザが要り、そのビザには写真が必要だとのことで、この日の朝、慌ててホーチミンのホテルのレセプションに相談すると、気の利いたドアボーイのお兄ちゃんがユニフォーム姿のままバイクにまたがり、私にヘルメットを差し出し超特急で写真屋さんに走ってくれた。
そのおかげでビザを頂けた。ビザなるもの自体久々。
到着した町シュムリアップは空港から町までホテルが建ち並び、いかにも観光地!のパノラマで、ここまできたのならトコトン観光客になってやろうと、その夜は地元の民族舞踊のステージのあるレストランへ出かける。

 なんだか最近日本でも流行の安価な温泉宿みたいに、入ると突然皿を持たされバイキングで食事を取っていく、私の一番苦手な食事方法。
その食物の大皿にいたる所群がる人々、並ぶ人々、割り込むばあさん、走り回るガキども!こりゃカオスだな。
まあ、ホテルで予約してもらっていたので、舞台目の前のかぶりつきの席で、とりあえずビールを飲んで、踊りを見ることにする。

 
このあたりのアジアの舞踊は、その踊り子の引きつらせるような指の動きと足のポーズ。
化粧顔を見るより引きつったように踏ん張る足の先に視線が行く。



 そういえば、この日は夜のこのヘルスセンター型舞踏レストランに行く前に、時間があったので、ホテルの中のエステに出かけ、「スペシャルパラダイス、大いなる感動の4本の手によるオイルマッサージ!」なるものに突撃した。
4本の手だから当然2人のマッサージ屋さんが上から下から揉みまくるわけだが、これがなかなか良い気分。揉まれている場所が複数なので、意識が集中しないと、そこが気にならなくなり、いつの間にか意識は放棄され、ぼんやりとした気持ちになる。
不思議な世界だった。
 

 さて、今回の観光ツアーのメインはアンコールワットの朝焼け。
朝5時にバイクに荷台をくっつけた乗り物「テュクテュク」(こんな表記で良いのかな?)を予約してあったので、薄暗いがらんとしたホテルの前にでると、一人のおじさんが寄ってきて、「わたし、バンちゃんです」ときた。誰やねんこんな日本語教えたのは!
このおじさんを今日一日チャーターするという形の観光に出かける。

まずは遺跡群への入場券売り場へ。すでに人がわんさか。
20ドルの一日券でさてどれだけ回れるだろうか。
チケット売り場でいつの間にか写真が撮られていて、チケットの中の身分証明書になっている。

 
そう、この朝焼け。
河原にはずらりと観光客がご来光を待っている。
これさえ見ればここに来た甲斐があったかな。
言葉は無駄だから写真を並べます。


日が昇ってしまっても、ここは水との競演がいきているのかも。

そして、かつてはもっとすばらしい彫り物がたくさんあっただろうと思わせる彫刻の数々。

 

もちろんその建物の壮大さは思わず立ち止まって見上げてしまう。
青空も雲も良い味を出してるよね。

 
そこら中に復元作業を待つ石像がじっと時を刻んでいる。
 
 ここらで日もだんだん暑くなり、テュクテュクのおじさんとの待ち合わせ時間の8時半で、
次の遺跡アンコールトムに向かう。
 
 規模的にもスペース的にもアンコールワットよりも大きく、その遺跡の発掘復元作業を担当しているのが日本のチームのようだ。
入り口近くで新婚さんだろうか色んなポーズを撮って記念撮影をしている。
この遺跡もまたかつての栄華を彷彿させる石像や彫刻、建物

 
 上ばかり見ていると、人混みにいつか入り込んでいて、「ちょっと、前通らないでよ!今写真撮っているんだから!」などとヨーロッパ人らしき人種から手で追い払われて喚かれたりする。
 私の経験からして、この手の遺跡ツアーに来る白人の観光客の多くは現地人とその他の国の人間の区別が付かないのはもちろん、白人以外に対しては「観光でお金落としてあげてんだから私らをしっかり優遇しなさいよね!」というような行動を取る人間が多い。
最近はどこをどう間違ったか、中国人観光客が同じような行動に走っている。
まあ、昔は日本の「農協ツアー」が幅をきかせていたけど、その辺の人間観察も観光地のひとつの楽しみかもしれない。
陽は次第にギンギンさを増してきて、影を探して次の遺跡タプロムに歩き出すが、同じような建物群を二つ見た時点でだんだん飽きてきて、観光客の多さにもげんなりしてきた。
それでも、ガイドブックお進めの建物に木の根っこが大きくからまる図を見ておこうと先を進む。

まあ、こんな感じだが、この写真一枚撮るだけで、どれだけこの前にたかってピースして写真を撮る観光客の列がきれるのを待ったことか。ほんの一瞬のシャッターチャンス。
 
それにしても、規模は小さいものの、木の根っこだらけで、そこら中に進入禁止の看板があったり、もう崩れるんじゃないかと思われる箇所が一杯ある。ちなみにここをサポートしているのがインドのチームだと言うが、果たして何をサポートしているのだろうか?カレーの差し入れでもしてるのかな。
 
もう充分!早くホテル帰って涼みたい!とおじさんの待つ反対側のゲートまで歩くと、途中に楽隊が座り込んで演奏している。見れば地雷で怪我をした方々の楽隊のようだ。
 
 そういえば、アンコールワットと言えば地雷ではないか!ポルポト派が世界的な遺跡だから攻撃されないだろうと立てこもっていた場所だと今更ながら思い出した。
今回、この世界遺産に来たのも、どちらかと言えばその独裁政治下の痕跡や地雷除去の様子の方が興味があって、キリングワールドをおそるおそるのぞき見したいと来たのだが、いつの間にかのんびり観光ぼけしていた。
 
といってもどこにもその時代の形跡が見えなくて、かすかに日本の「地雷除去プロジェクト事務所」なる看板が小さく道ばたにあっただけ。
この町の、もしくはこの国の人間にとって早く忘れてしまいたいことではあるようだ。


看板と言えば、街中でよく見かけたのが、この看板「洗濯、1キロ1ドル」パンツもフンドシも何でも持ってこい!という感じ。
 
 
とにかくお昼にするか、とテュクテュクに乗り込む。
この運転手のおじさんは余裕があるというか、他のテュクテュクに次々追い越されても全然平気で、のんびりと一定のスピードを保って走っている。その運連が吹き込む風と共に返って気持ちよくて、またまた観光平和ぼけに戻る。
ホテルに着くと、テュクテュクのおじさんに午後はどうすると聞かれたが、これ以上遺跡は良いから夕方飛行場まで送ってとつたえる。
おじさんは「レイン、レイン。もうすぐ雨が降ってくるだよ」と空を指さすが、ギンギンの太陽と青空。
「どこがやねん、おっさん?」と言って街中に飯屋を探しに歩き出すと、なんとぽつりぽつり雨が落ちてきた。
ここはのんびり雨が上がるのを待つとするかと、汗だくの体にビールを流し込む。
日本から持参した雪駄とさっき遺跡近くの屋台で買った帽子。結構役に立っている。
 
さて、ホテルに戻ると、そののんびりおじさん夕方までホテルの横の雑貨屋でテレビのキックボクシング中継を見ているつもりのようで、白い帽子の私を見つけると雑貨屋のおもての椅子に座った彼が手招きしてきた。ヒマなら一緒にテレビを見ろというのだ。
早朝から引きずり回してきわめて安い料金で、ひたすら良心的なドライバーのようだ。
観光客、特に日本人と見ると寄ってたかってぼったくることに気合いを入れる観光地の運転手のイメージががらりと変わってしまった。もしかしたら、最近は中国系の観光客達が私たちの代役を務めていてくれるのかもしれないな。
 
これがそのおじさん。
空港で別れ際名刺をくれて、な~んと本当に「Van Chan」バンちゃんという名前だった!
おまけに肩書きはしっかり「Tuk Tuk Driver」


オレンジ色のシャツはユニフォームでも何でもなく、待ち合わせ場所の雑踏ですこぶる見つけやすい色だった。ここにものんびりと行動しながらさりげないプロの思いやりを見たような気がした。
アンコールにもう一度来たいと思うとしたら、このおじさんのテュクテュクに乗りたくなったときかな。
 
 
 


2013年7月7日日曜日

光を求めて百名山No.94『光岳(てかりだけ)2.591m』

 6月22日、前夜、仕事上がりに東京を出てからJR飯田駅近くのホテルに到着するまで、高速も一般道も時折道路の先が見えなくなるほどの土砂降りだったため、今年初めての百名山新規登頂はお預けかなと半ばあきらめていた。
ところが朝、部屋のカーテンをおそるおそる引いてみると、何と昨夜の雨は嘘のように青空とうっすら白い雲。ホテルの朝食の準備なのかどこからともなく干物を焼くにおいが漂っていて、何とも言えないすがすがしい朝の風景ににんまりしてしまった。

 

 さて、登山口へ向かうとするか。今回は同年代3人での山行。
この光岳(てかりだけ)は昨年登ろうと準備していたものの、直前になり登山口までの林道が土砂崩れで通行止めになり、その上、その復旧作業中に作業員が一人犠牲になったとのことで、その先の登山道も通行禁止となったと光岳小屋の管理人さんからメールをいただき、急遽同じ南アルプスでも『聖岳』に変更したという経緯がある。
今年は林道は大丈夫ですとメールをいただいていたのだが、昨夜の雨でどうなっているかわからない状況でとりあえず出発。林道はさすがに途中何カ所か危ないところもあったけど、夕方から復旧工事に入るので通行可能。登山口の易老渡から近い聖光小屋の横にある便が島広場で荷造りし直し。
登山口横の駐車場には車がすでに数台あり、登山道の整備のためのボランティアの方も作業準備に入っていた。
登山口の橋
いきなり雨上がりの気持ちの良い森

結構きつい坂をひたすら登り「面平」

ところどころに鹿の足跡があり、木々の新芽を探しにあちこち歩き回っているのだろうか。
倒木帯やシダ類の多いひんやりした森などを進む。

キノコやギンリョウソウがあちこちに顔を出している。

時折こんな看板が掛かっているが、距離を見ると「え~、まだそんなにあるの」とげんなんりしてきたりする。
歩き出して3時間を過ぎると、ちょっと植生が変わってきたようで、コイワカカミなどが時折群生していたりする。

回りがそれほど視界の良くない標高2254.1m地点にある三角点。
何も見えなくても、4時間近く歩き、このあたりまで来ると何か目印を見つけるだけでホッとしたりする。
尾根沿いの岩場のトラバース。足の動きが徐々に鈍くなってきて。

易老岳2354m頂上の広場に到着。登山口が標高880mなので、1500m近くを登ってきたことになり結構ゼイゼイと言い出し「あと標高差200m、2時間半で小屋だよ!」とお互いを励ます。
三吉平への道の所々に雪解けの水たまりというか池が出てくる。
のぞき込んでみたが小動物類の姿は全くなし。これからカエルがやってくるのかな?

谷筋に残雪の場所も出てきて、コバイケイソウらしき一群もまだ葉が小さな状況。
だんだん動きが鈍くなってきて、地図上で次の目標をと探すと
「涸れていることが多い」と表記された水場。涸れてないことを願って静高平に出る。
このあたりはお花畑のはずだが、まだ時期が早いようだ。
その代わり、水場の水は雪解け水が豊富に出ていた。
今夜の泊まりは山小屋とはいえ、まだ正式開業前に避難小屋として使わせていただくので、今回は食料とシュラフの分荷物が多く、この水場で明日の朝までの水を補充していく。
ここはハイマツ群生の日本最南端とのことで、ハイマツの次は残雪の道が続いてくる。
登れば360度の眺望、というイザルヶ岳との三叉路で木道が始まる。
もうばてばてで、今日中に360度の眺望を体験しに行こうというメンバーは一人もなく、
早く小屋で休みたい!に気持ちは集中。あの霧の向こうが小屋だ!
 
どうにか小屋に到着。ひたすら登山靴が脱ぎたい気分。
途中休憩も入れて、登山口から7時間半近く掛かってしまった。
オープン前の準備をする方がいたが、小屋はすこぶる新しくてきれいで、早く一杯やって寝るぞ
~!
ちなみに私たちと同じように光岳ピストンでこの小屋を利用したグループが3組いた。

6月23日早朝。
ご来光に昨日世界遺産の登録に正式決定した富士山が朝焼けに浮かぶ。

この日、下界からは曇り空で富士山は拝めなかったとのことで、私たちは運良く世界遺産登録初日の富士山に合掌。この朝焼けの光を求めて登ってきただけに感動ひとし。、

そして、小屋から15分の光岳頂上へ
久しぶりに百名山の頂上で感動。

小屋の横にある標識。
去年登った聖岳までここからだと8時間半か・・・去年はそのコースを歩く予定だったが、昨日の7時間ちょっとでしんどい思いしていて、その上を行く行程はやめておいて良かったと感じる。
 
昨日登らなかったイザルヶ岳頂上から遙か穂高連山もうっすら見える。
そして、一晩お世話になった光岳小屋
改めて、頭を雲の上に出す富士山を望む。
やはり富士山は登る山じゃなく望む山だな。