今年も能登の春の風物詩「いさざ」を食しに穴水町へ。
今回は動画でそのぴちぴちさを感じてみて下さいな!
なにせこの白魚は元気な上に箸でつかむのがすこぶる面倒で、つかんだと思って口に持っていくまでに、どこかに飛んで行ってしまう。口からお迎え状態。
さて、能登と言っても、石川さゆりの歌を口ずさんで荒れ狂う日本海ばかりを想像される人には、ちょっとイメージわかないかもしれないが、馬の頭のような形の能登半島の口を開けたあたりにあるのが七尾湾だが、その沿岸海岸を「内浦」と呼び、海を見ていても、ここは湖か?と思わせるくらい静かな風景。その内浦に注ぎ込むいくつかの川をその白魚は遡ってくるのだが、それを専用の網というかザルというか、そいつで掬って元気いっぱいのいさざをとらえる。その様子はそんなものであの元気な連中を捕まえられるのか?と思わせるほどのんびりとしている。ついでに「穴水」という町名の元になったという名水の湧いている『穴水堂』に寄ってきたが、あまりにも目立たないのでずいぶん探してしまった。
その内浦ののどかな穴水町を出て、今度は能登半島の反対側、馬の鼻先、頭からたてがみにかけての「外浦」側に向かう。途中、樹齢800年、源氏のなにがしかが平泉から持ち込んできたという『アテの元祖』といわれるアテの巨木、
2つの滝が一つになって大きく流れ落ちる『男女(なめ)滝』を見て、
下大沢という小さな漁村にたどり着いたが、目的の海岸べりの遊歩道は冬の日本海の荒波で、崩壊しているとのことで、どこぞに海に出れる場所がないかと道無き道を進むと『望楼台公園』という何だかぽっかりと空いたスペースの場所にたどり着く。駐車場には車が何台かあり、それにしては人気の全くない場所は、なんとかつては日本海軍の海上監視拠点として、一小部隊が駐屯していたようで、なんだかきな臭い廃墟の雰囲気が漂っていた。
そうそう、海に行って、何で海に出れる場所を探すのだ?と思われるかもしれないが、能登は日本でも有数のいわゆるリアス式海岸が続き、どこもかしこも断崖絶壁の岩山が海岸にそそり立っている。だから、海岸に出でるには、入り江の部落からの道を探すか、その絶壁を降りていく場所を探さないと難しい。とりあえず、途中から道はありません、というそっけない標識の道を辿って、海岸線まで出て行く。目の前に広がる日本海は石川さゆりがこぶしをきかせるような冬の荒々しさは無いけど、岩を洗う波は次々としぶきを上げていた。
途中すれ違ったおじいさんに「この先大丈夫ですか?」と聞くと、「何もないよ・・・」と半分横を向いてなんだかはっきりしない返事。そういえば、さっきの駐車場で会った人も、視線をそらして、人に接触したくないようなこの雰囲気。これは能登の特長かな?などと思いながら、行けるところまで潮風にあおられながら歩いてきた。
公園に戻り昼飯をとっていると、手にノートと鉛筆を持ったおじさんが寄ってきて、突然、そのノートを開いて「あんた、どこから来たんかいね?」と訪ねられ、「金沢からですよ」と答えるとノートに何か書き出した。「そんじゃ、お名前は?」と、何とも失礼な質問が飛んできて「なんで名前まで言わなきゃならないの?」と聞き返すと、お湯の沸くコッヘルと私の半分囓った魚肉ソーセージを見ながら、「ピクニックかいね、こりゃ、すまんこと聞いて、申し訳ない・・・」と話し始めた。
何でも、このあたりは、春のシーズンは雪割草の花と行者ニンニクの葉で有名だそうで、雪割草はここから近い『猿山岬』に群生していることは知っていたが、行者ニンニクは初耳で、その雪割草と行者ニンニクを勝手に採取して、それも最近は根こそぎ持って行くやつが出てきて、国定公園の特別保護地区であるので、最近はしっかり監視と指導をしているとのこと。要するに私は人相からか行者ニンニクの密猟者?に間違われたようだ。そういえば、視線を余り合わせず、相手を識別するような視線は、そういうことだったのか!そういえば海岸にいるのに鎌持ってたな。
帰り道、JAの生鮮物を売っている店に寄ってきたら、ありましたありました、行者ニンニクが今がシーズンでっせ!とばかりに袋詰めされて並んでいた。物色している私に店のおばさんがこっちの方が美味しいよ」と勧める袋には、他の生産物や他の行者ニンニクの袋とちょっと雰囲気が違い、生産者の名前が表記されてなかった。なるほど、こんな所に流通してるのかと納得してしまった。