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2011年10月1日土曜日

おさらいの百名山 その1『霧ヶ峰』

 9月11日
いままで登ってきた百名山のうち、何だか中途半端な山行で終わっているところがいくつかある。
この霧ヶ峰もその一つで、どこからどこまでが対象なのかはっきりせず、とりあえず記念撮影でもしておこうかと「八島ヶ原湿原」の看板の写真を写して終わっている。
 ところが、たまたま読んでいた新田次郎の『霧の子孫たち』というドキュメンタリー風小説の舞台がこの霧ヶ峰で、今回はその検証のつもりで歩いてみた。

 まずはビジターセンターから道路下のトンネルをくぐり、
「八島ヶ原湿原」の看板から周りを見渡して、ひときわ高い山の頂上の方に歩き出す。
山の名前は「鷲ヶ峰(1798m)」標高差170mでひとしきり汗をかいて頂上付近から湿原を、そして車山の方を臨む。


山の秋は早くて、ひんやりとした空気の中、アザミやトリカブトなどの青・紫色系の花が多く見られた。


 湿原に降りてくると湿原を一周する木道が続き、小説の中で何度も出てくる「旧御射山遺跡」(これで、<もとみさやまいせき>と読む)に向かう。

 以前から八ヶ岳に来ると、やけに遺跡が多いのにちょっとひっかかっていたが、この霧ヶ峰の地を中心に、縄文弥生の時代「諏訪族・モリヤ族」がこのあたりを支配し、長く独特の文化を形成していたとのこと。
そして、ふもとの諏訪湖の諏訪大社の重要な祭典は、全てこの旧御射山遺跡の「旧御射山神社」にて執り行われていて、謂わば聖地だったようだ。
 ちなみに、諏訪大社の奇祭「御柱祭り」は7年に一度、山から御柱の木を運んでくるものだが、これはかつて諏訪族が自分の陣地を敵から守るために大きな柵で囲っていたが、木が傷んでくるので、7年に一度柵を取り替えていたというところから来ている祭りだとのこと。

 そんな聖地にビーナスラインという観光用のとんでもない道路が通り、湿原独自の動植物の生存が危ぶまれ、その反対運動の話がこの小説の筋。
車社会の到来とか、モータリゼーションがもたらす地方の活性化という、かつての高度成長化時代の日本の各地に建設が進められた類の道路。今日、ほとんどさびれてムダとしか言いようのない道路が、この独自種が多く自然の宝庫であり聖地である土地をを貫くという日本のドカタ屋政治の典型みたいなところ。
 
 湿原を貫くその意味不明の名前を付けられた「ビーナスライン」 車が時折通る分には、それほど感じないのだが、バイクがそれもグループで駆け抜けてくると、風の音や水の音、虫の音などせっかく静かに自然を楽しんでいた人々には苦痛の騒音でしかない。あいつら何が楽しいのかと不思議でしょうがないし、うるさい奴らには誰でも石なり棒なり何でも投げつけてもお咎めなし!という条例でも作ってもらいたいものだ!



 さて、気を取り直して湿原に

 
 秋の風景だからすすきなどが目立つが、高山植物の最盛期の6~7月に来たら、ニッコウキスゲやコバイケイソウ、をはじめ色とりどりの花々が咲き乱れているのが想像される。その秋の静けさも鎌が池の湖面の静けさに合っていた。

 そして、旧御射山神社。ビーナスラインの建設と共に建てられたという御射山ヒュッテの裏に、ひっそりと目立たない祠があった。

     ビジターセンターに戻る木道に、湿原を見渡せるベンチがあり、そこで地元のビールと地元のパンでしばし昼食の休憩。



 せっかくの静寂をバイクの音が時折重なって横切っていく。