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2009年9月23日水曜日

剱岳登山~点の記の余韻~ その2


 今までの経験では、小さい山小屋でも、食後のくつろぎの時間のために『談話室』とか『休憩室』があり、明日の天気の時間になるとテレビの前に人がどっと寄ってくるが、今回の早月小屋にはそのての案内もスペースもないようで、しょうがなく携帯のワンセグ画面で天気予報を見ることになった。天気予報は『必然性』の最たるものだが、夜明け前の小雨の外に出ると、小屋のオヤジさんがそれを眺めて『今日は1日中雨だな』の一言だけ。
 それでも、ここまで来たからには行くだけ行ってみよう!と、午前5時。朝食前に出発する人はお弁当、というので鮭と卵焼きのしっかり冷えた弁当を、6時半から朝食という食堂でそそくさと食べて、6時に小雨の中小屋を出発。これも今までの経験では、山小屋の朝食は4時半とか5時が多く、時には8時過ぎには頂上の眺めが見えなくなるから、との配慮で3時半に朝食の甲斐駒ヶ岳の小屋もあったくらいで、6時半だと下界の民宿と同じ。
 さて、頂上への800mの登山道、ナナカマドの葉が赤く色づく道を辿っていくと、予想以上に急な登りが続き、200mごとの標識に出会うとほっと一息つくほど疲れてきていて、時折雨や風が強く、周りの風景も見えなくなり、ひたすら霧の中、チングルマが鮮やかな赤い葉と白いふさふさの花(なのかな?)を雨粒をためて風に揺れていた。

2800m地点の尾根に出ると風が一気に冷たく雨を伴って吹いてきて、ここからは雨と冷気に濡れてた岩とクサリ場のクサリの冷たさに手がかじかんで動きが鈍くなってくる。
眼鏡にへばりついてくる雨しずくを払いながら、どうにか頂上にたどり着くと、さすがに立山からの人気のコースを登って来たらしい登山者の団体が列をなしていた。かじかむ手をポケットで温めて、「点の地」にタッチして早々に頂上を後にする。ところが、今度は登って来た雨の岩場をつたい、浮き石でよろけ、木の枝に服を引っかけて破り、いつも間にか指の数カ所から血がにじんでいて・・・・と日本三大急登より三大急降を体験することになった。
午後4時、足がマジンガーZのようにしか動かない中、どうにか登山口に戻ってくる。
 そういえば、登山道の途中で気になったことが一つ。登山道の整備と言えば木道や木の階段、時にはコンクリートや鉄板で作った階段などがあるが、どう考えても、どこかの山小屋と同じで、素人の**組の請負会社が形だけ作っているようにしか感じない。というのも、木も鉄板もコンクリートも雨が降ったら、すごく滑りやすくなり、加えて、土の部分を隠してしまうので、ちょっと雨が降っただけで登山道が川のように洪水になってしまう。こんな登山道が何本もあったら、そのうち周りの土地も植物も浸食して崩れ、集まった水は川の増水に繋がるのではないかと思う。ところが、この登山道の階段は布製のズタ袋というのかな、袋の中にその場所の土を詰め込んで、いわば土嚢にして一つ一つ積み上げていく。これなら、登山者も滑ることが極めて少なく安全だし、水を吸ってくれるので川のようになることも少ないだろうし、布製だから古くなったらそのまま土に帰っていくのではないのだろうか?そんな地道な作業をする登山道整備の方に下り道出会った。もしかしたら、この方も**組の請負かもしれないが、どうせやるならここまで考えて工事をしてもらいたいし、公共事業が少なくなっていく今後、日本の自然をしっかり見つめて、本物を目指し、転職していく土木建築業の方が増えれば、「点の地」は決して一時的な流行ではないと思った。帰宅して驚いたのは、登山靴を洗おうとしたら、いつもは靴底が固まった泥でびっしりの時が多く、特に雨の日は悲惨なものだが、あのズタ袋階段のせいか全く洗うところがないほどきれいになっていた。これもいい効果ですな。
 一つオマケ:帰りに給油のために寄ったガソリンスタンドでそこのオバさんが『点の記、行ってこられたがかね?』と聞いてきた。映画の影響で剱岳のことをそう呼ぶのかと思ったら、登山口の馬場島があの映画の多くのシーンの撮影場所だったとのことで、それだけ地元はその効果を期待していたのだろう。
おっと、大切なことを忘れていた。この剱岳で日本百名山75個目。あと4分の1だ!

剱岳登山~点の記の余韻~ その1

 去年は槍ヶ岳、今年は春先から登山のメインとして決めていた剱岳(標高2999m)。心配だったのは映画の影響で例年以上の登山客でごった返すのではないだろうかと言うことだったが、案の定登山口の馬場島は駐車場も満杯で道路脇に車を停めることになった。それでも、21日朝7時に登山口を出発しても、それほど行き交う人もなく、静かに、この日本で一番標高差の大きいという登山道を進む。ちなみにこの早月尾根ルートは標高750mの馬場島登山口から剱岳頂上まで2249mの標高差。出発から2時間弱、1300mを過ぎたあたりで同行のベテランの山岳会仲間が遅れはじめ、素人集団が前を進むことになったが、お昼少し前に今日の目的地「早月小屋」(2200m)に到着。あれっ?まだお昼だよね?ここに泊まるんだよね?とスケジュールを確認していると、ここから頂上まで残り800mを午前中で往復してきたらしい中高年団体が降りてきて、「いい天気で最高だった!」としきりに喜んでいる。さっさと昼飯食べて天気のいいうちに私らも行こうか、と相談していたが、これが団体行動のつらいところでなぜか3時間の時間差のある計画書通り夕飯を待つことになった。この「早月小屋」別名伝蔵小屋といって、伝蔵さんという方が作ったようだが、数年前に改築したそうだ。でも、どうみても山を知っている人間が建てた代物には見えず、ただ、下界にある簡易住宅を持ってきたような感じで、パンフレットを見ると「連絡先:**組」と書いてあった。土建屋が経営してるのか、多角経営の方向は大丈夫なのかなと心配しながら、シーズン柄覚悟はしていたものの、6畳の部屋でぼんやり時間を過ごしていたら次々人が増えていって、結局12名でこの部屋を使うことになった。どうやって寝たか、6畳を12名だから一人あたり半畳(繁盛じゃないよ)足を真ん中にして6人ずつ両脇になり、足は向こう側に人の足に何度もぶつかるし、寝返りも慎重にしないといけない・・・・ここまでの狭さは初めての経験だが、満員で大変な夜になるなと思いながら登った山も多いので私たちは我慢は出来たが、最近の登山ブームの影響か、山小屋は客をもてなす宿泊施設だと思っている人も結構いるようで、消灯から2時間ほど経った10時過ぎに、『もう我慢できない・・・』とかつぶやいて、管理人室に駆け込んだ人物がいたようで、寝静まった中にひとしきり口論の言葉が低く響き、『てめえ、何考えてんだ?こっちは商売でやってんじゃないんだ!必然性からやってんだよ!』と怒鳴る声が響く。思わず、『ほ~っ、必然性か。それにしても怒鳴り方は職業が役に立ってるな』などと暗闇の中でうなずいたのは私だけじゃなかったのではないだろうか?それにしても、その『必然性』とは、パンフレットとは違う宿泊料金が受付横の料金表に急作りで貼った料金になり、早朝出発する登山客を考えるとまず設定しない6時半から朝食を出し、雨水利用だと聞いていたので、大変な苦労をして飲み水を確保しているんだなと思って行くと、2リットルのペットボトルの水を市価の10倍くらいの料金で売ることを指しているのだろうか?部屋には濡れたものを掛ける釘一つ無い、トイレの掃除は中途半端・・・・などなど、もっと山のことを勉強して、真摯に努力を重ねて、登山客の安全を預かる『必然性』を強調してもらいたいものだと感じた。

2009年9月20日日曜日

街中そぞろ歩き・・・・JAZZ STREET

 「金沢ジャズストリート」というイベントが金沢市内中心部の18カ所の広場や催事場を舞台にこのシルバーウイークの期間開催されている。
 町の中心部の空洞化は、昔からある商店街がさびれていき、特に自動車を主な交通手段として利用する市民の多い地方都市では、郊外の大型ショッピング街に人が流れて行っているようで、戦災に遭ってないこの金沢には、貴重な古くからの町並みや用水や道しるべなどしっかりした町の「かたち」があったにもかかわらず、そこから人が郊外へ流出していくことは寂しい限り。街中に人を呼び戻そうと、行政は、古典的なハコ作りや予算消化型のありきたりな政策やイベントしかしないので、いい加減うんざりしているところに、今回の地元商店街や市民団体が手がけるイベント。中学生や高校生のブラスバンド部という比較的溶け込めやすい音楽の世界を継続して昇華させているアマチュア、プロのグループがこの18の会場でさり気なく演奏をして、買い物や散歩のついでに、ドーナツをかじりながらだったり、紙コップのビールを片手にだったりと観客が集まってくる。

 近江町市場や21世紀美術館、前田利家を祀る尾山神社や金沢の玄関口金沢駅の「もてなしドーム」など観光ポイントにも数カ所会場があり、市内地図を広げながら歩く観光客達も、なかなか粋なことやってるなあ、という感じで立ち止まって見ていたりする。人々はその音のするところへと、表通りだけじゃなく、金沢独特の細い路地を歩いていき、こんな道もあったのかと町を再発見していく・・・・また、ライブの余韻を抱えて、プロの演奏するコンサートやライブハウスに人は流れ、ついでに一杯やっていこうかと、夜の町に繰り出す。ここ最近若い世代が古くからの飲み屋街を変化させていっているので、ここでも色んな発見が生まれて、自分にあった世界を見つけ出していく。
 こんな発見の中で、どこの町へ行っても、ファミレスと紳士服屋、コンビニに大型ショッピングセンターと同じ風景しかない郊外から「面白い」と感じ、自らが参画し、色んな出会いのある空気を吸うために街中に戻ってくる。ヨーロッパの町を歩いているとごく自然に思えるそんな生活形態が日本各地にも戻ってくることは嬉しいことだ。
 ちなみに私がはしごしてみてきたのは、繁華街の一つ裏通りの用水沿いの「香林坊にぎわいわい広場」での地元「金沢大学モダン・ジャズ・ソサエティ」デパート大和の4階高級婦人服売り場の特設会場での京都大学のユニット、能舞台でやるのかなと思った尾山神社では、前田利家の赤母衣姿の銅像の横の特設ステージで「早稲田大学ハイ・ソサエティ・オーケストラ」「慶応義塾大学ライト・ミュージック・ソサエティ」「京都大学ダークブルー・ニューサウンズ・オーケストラ」の面々。そうそう、全て無料。