今までの経験では、小さい山小屋でも、食後のくつろぎの時間のために『談話室』とか『休憩室』があり、明日の天気の時間になるとテレビの前に人がどっと寄ってくるが、今回の早月小屋にはそのての案内もスペースもないようで、しょうがなく携帯のワンセグ画面で天気予報を見ることになった。天気予報は『必然性』の最たるものだが、夜明け前の小雨の外に出ると、小屋のオヤジさんがそれを眺めて『今日は1日中雨だな』の一言だけ。
それでも、ここまで来たからには行くだけ行ってみよう!と、午前5時。朝食前に出発する人はお弁当、というので鮭と卵焼きのしっかり冷えた弁当を、6時半から朝食という食堂でそそくさと食べて、6時に小雨の中小屋を出発。これも今までの経験では、山小屋の朝食は4時半とか5時が多く、時には8時過ぎには頂上の眺めが見えなくなるから、との配慮で3時半に朝食の甲斐駒ヶ岳の小屋もあったくらいで、6時半だと下界の民宿と同じ。
さて、頂上への800mの登山道、ナナカマドの葉が赤く色づく道を辿っていくと、予想以上に急な登りが続き、200mごとの標識に出会うとほっと一息つくほど疲れてきていて、時折雨や風が強く、周りの風景も見えなくなり、ひたすら霧の中、チングルマが鮮やかな赤い葉と白いふさふさの花(なのかな?)を雨粒をためて風に揺れていた。
2800m地点の尾根に出ると風が一気に冷たく雨を伴って吹いてきて、ここからは雨と冷気に濡れてた岩とクサリ場のクサリの冷たさに手がかじかんで動きが鈍くなってくる。
眼鏡にへばりついてくる雨しずくを払いながら、どうにか頂上にたどり着くと、さすがに立山からの人気のコースを登って来たらしい登山者の団体が列をなしていた。かじかむ手をポケットで温めて、「点の地」にタッチして早々に頂上を後にする。ところが、今度は登って来た雨の岩場をつたい、浮き石でよろけ、木の枝に服を引っかけて破り、いつも間にか指の数カ所から血がにじんでいて・・・・と日本三大急登より三大急降を体験することになった。
午後4時、足がマジンガーZのようにしか動かない中、どうにか登山口に戻ってくる。
そういえば、登山道の途中で気になったことが一つ。登山道の整備と言えば木道や木の階段、時にはコンクリートや鉄板で作った階段などがあるが、どう考えても、どこかの山小屋と同じで、素人の**組の請負会社が形だけ作っているようにしか感じない。というのも、木も鉄板もコンクリートも雨が降ったら、すごく滑りやすくなり、加えて、土の部分を隠してしまうので、ちょっと雨が降っただけで登山道が川のように洪水になってしまう。こんな登山道が何本もあったら、そのうち周りの土地も植物も浸食して崩れ、集まった水は川の増水に繋がるのではないかと思う。ところが、この登山道の階段は布製のズタ袋というのかな、袋の中にその場所の土を詰め込んで、いわば土嚢にして一つ一つ積み上げていく。これなら、登山者も滑ることが極めて少なく安全だし、水を吸ってくれるので川のようになることも少ないだろうし、布製だから古くなったらそのまま土に帰っていくのではないのだろうか?そんな地道な作業をする登山道整備の方に下り道出会った。もしかしたら、この方も**組の請負かもしれないが、どうせやるならここまで考えて工事をしてもらいたいし、公共事業が少なくなっていく今後、日本の自然をしっかり見つめて、本物を目指し、転職していく土木建築業の方が増えれば、「点の地」は決して一時的な流行ではないと思った。帰宅して驚いたのは、登山靴を洗おうとしたら、いつもは靴底が固まった泥でびっしりの時が多く、特に雨の日は悲惨なものだが、あのズタ袋階段のせいか全く洗うところがないほどきれいになっていた。これもいい効果ですな。
一つオマケ:帰りに給油のために寄ったガソリンスタンドでそこのオバさんが『点の記、行ってこられたがかね?』と聞いてきた。映画の影響で剱岳のことをそう呼ぶのかと思ったら、登山口の馬場島があの映画の多くのシーンの撮影場所だったとのことで、それだけ地元はその効果を期待していたのだろう。
おっと、大切なことを忘れていた。この剱岳で日本百名山75個目。あと4分の1だ!