2012年1月23日月曜日

新春七福神巡り その2

1月とは言え、すでに成人の日も大寒も過ぎて、今日は旧正月。
街にやけに中国系の観光客が団体でうろつき始めたなと思い始めてはいたが、春節の休暇の人種に各地の神社仏閣も占領されてしまうようだ。
 さて、それでも負けじと2012年新春七福神巡り第2弾!
時は1月8日のこと。

『東海七福神』
何だか字の並びだけを見ると、三河か駿河の地でミカンでもほおばりながらめぐるように感じられるが、東京の品川を中心に、電車の駅で言えば京浜急行の大森海岸駅から新馬場駅にわたる地域の、かつての東海道沿いに点在する神社仏閣に七人の神様は鎮座おわす。

 まずは、大森海岸駅から徒歩3分の『磐井神社』(いわいじんじゃ)
ここには弁財天様が居るとのことで行ってみると、「東海七福神」の赤い幟と共に誰が見てもわかりやすい大きな看板。ここからして高岡の七福神とは気合いの入れ方も歴史も違うようだ。
 社務所に向かい、七福神のスタンプ帳ならぬ御朱印色紙を1200円也で買い求めると、
「今日中に七つ全部回れるかな~?だいたいどこも閉まるのが午後五時なんですよ」とのお言葉。
時はすでに午後三時を回り、地図には全行程2~3時間とある。気合いを入れて出発!
そうそう、忘れてはいかん!と弁天様をちらりとのぞいてみると、何だか妙になまめかしいお姿。
足早に次に向かう。

ちなみにこの磐井神社はかつて武蔵の国の八幡神社の総社だったとかで、近くの鈴ヶ森という地名はこの神社に伝わる「鈴石」(鈴のような音色のする石)によるものとのこと。

 次は電車で一駅隣の立会川駅方面へ歩く、第一京浜から横にするりと道を入って、いつの間にか旧東海道を歩いていた。
 出てきました赤い幟。
『天祖諏訪神社』(てんそすわじんじゃ)福禄寿が「良く来たな~!」とにっこりほほえみかけてきた。
 次はちと遠い。
立会川から鮫洲の商店街を通り、青物横丁の商店街に入るまでの二駅分を歩き、
たどり着いたのが『品川寺』(ほんせんじ)
ここには毘沙門天が居るとのことだが、時間がだんだん少なくなってきて、どれがどれなのかよくわからないし、それらしき像を写真に収め、とりあえず御朱印型スタンプをいただいてくる。



  そういえば、まだ昼飯を食ってないと気がつき、たたずまいの良い蕎麦屋に入ろうとしたが、それより時間がない!岩倉具視ゆかりの寺などという碑も立っていたが、ちらりと見て次に移動する。


  
 そういえば、青物横丁のあたりから「坂本龍馬」の文字がちらほら出てきて、
このあたりは江戸の外れで、幕末の剣士、謂わばその時分のアウトローがたむろしていたところ。
ゆっくり見れば色んな「~ゆかりの***」というのがそこここにあるのだろうが、今日はとりあえず七福神制覇。
 
 また一駅分歩き、ちょっと大きめの川が出現、おそらく目黒川だと思うが、新馬場の駅に近い場所にある『荏原神社』参道の赤い鎮守橋を渡ると恵比寿様がどっしりにっこり。

 さて、あたりがちょっと薄暗くなり始めて、寒く感じてきたが、
あと3つ!と次に移る。何ともせわしない、全く御利益のなさそうな七福神巡りだとは思いながらも、時折、自分と同じように「御朱印型スタンプ台色紙」の専用袋をぶら下げた人に出会うと、
「くそ~、負けてたまるか~」と急いでしまう。
ここで気がついたのだが、その袋をお持ちの方々とは向かい合ってすれ違うばかりで、追いかけて追い抜くということがなかった。どうも私は通常の七福神巡りルートを逆に歩いているようだ。

 そんなことはどうでもいい、次に向かうは『一心寺』(いっしんじ)
急いでいる人はもしかしたら通り過ぎるのではと思うくらいの奥まった小さなお寺だが、ここにも赤い幟があり、「めっけ!」と入ろうとしたら、ぬあ~んと門が閉まっていた。
時刻は午後4時半過ぎ。「5時までやっているって言ったではないか、約束が違う!」などというと罰が当たりそうで、寿老人の姿はこの日は拝めず、すぐ近くにある布袋さんのいるという『養願寺』へ移動。

 「布袋」の大きな看板もあるが、ご本人がどこにいるか見あたらず。
時間も無いのでまあいいとしようと勝手に納得して最後の『品川神社』
ここはあっけなく見つかる、こんなところでお出迎えの大黒天。
なんだか一瞬ディズニーランドの前に立つミッキーのように見えた。
 この品川神社は徳川家康が関ヶ原の戦いの時に勝利祈願した神社だとのことで、
もう一つ有名なのはミッキーが居ればミニーもいまっせ!とばかりになんとミニ富士山が作られている。

 鳥居を抜けて階段を上り右手の小高い山
途中に「五合目」「七合目」などと標識のあるミニ富士山。
日本百名山のうち富士山はまだ登ってないので、人混みのないこの富士山で代替えしたいくらいだ。かつては品川沖の海原を一望できたのだろう、坂本龍馬もここから遼か異国の地望もうとしていたのかもしれない。
が今はビルが建ち並んでいて海の姿は拝めない。


 そのミニ富士山のふもとにある「ぶじかえる」の像。
こちらの方がミニー役には相応しいかな?
「ぶじ」(無事)と「ふじ」(富士)を掛けているようだ。


 それで、後日1つだけスタンプのもらえなかった一心寺に人に行ってもらい、
どうにか色紙も様になった。墨の部分はあらかじめ色紙に印刷してあり、赤いスタンプの部分だけを各所で押してもらうスタイル。
 
 今年も一年幸せに過ごせますように・・・・

2012年1月14日土曜日

新春七福神巡り その1

毎年正月休みは初詣と駅伝のテレビ中継で終わるのだが、今年は大学箱根駅伝がどこぞの大学の出来過ぎたレースですこぶるつまらなくて、いつもと違うところにとWEBを検索していたら、
『全国七福神巡りガイド』http://www.asahi-net.or.jp/~UY7M-SSK/
なるものを見つけて、そういえば東京で以前、谷中だったかの七福神を新年に回ったなと思い出し、近所にはないのかと見てみると・・・・
ありました!富山に「越中万葉七福神」なるものが。
  正月の酒浸りの体をちょっとは動かさないと、と1月3日早速出かけてみることにする。

 富山の高岡市・射水市・氷見市をめぐるこの七福神巡りは地図で場所を確認しているうちに、エリア的に全部を歩いてめぐるのは到底無理だと気付くが、それぞれの境内への参道ぐらいの散歩道はあるだろうとでかける。

 まずは①『新湊弁財天』
これがまた巨大なアルミ製の像で新湊港の風を一手に受けているようなお姿。
彼女の後には富山新港の入江をつなぐ完成間近の大きな橋が見える。

 次に向かったのは富山新港の反対側にある住所では高岡市に入り、
②『西宮神社』ここには恵比寿さんがいると言うことなのだが、
どこにいらっしゃるのか見あたらない。
もっとも西宮神社というと西宮えびすで、えびす宮総本家だから、そのものが恵比寿さんなんだろうと解釈して、回りの港町のたたずまいをしばし楽しむ。


 さて、西へ移動して3番目は
③『妙法寺』布袋さんがいるらしい。
住所的には『勝興寺』というかつては越中の国を仕切っていた国庁の置かれていた大きな寺のあたりだが、なかなか見つからず、日は出ているものの風の冷たい門前町あたりをうろつくと、出てきました!どっしりとした石像の布袋さん。

 日蓮宗のお寺なので、日蓮上人の像と2ショット

 と、ここまでは順調だったのだが、ここまで来て思い当たったのが、
東京などの七福神だとどこの神社仏閣にも「七福神」のぼりが出ていて、親切に案内板があったりして、七つをめぐる御朱印色紙などがあったりするが、ここは全くそんな様子はなく、他に七福神をめぐる人の姿も見あたらない。
 もしかしたら、「公認」じゃないのかな?などと思ったりして・・・・

 西に移動しナビの通りに走ると、だんだん山の中に入っていき、「二上万葉ライン」をのぼるが雪が多くなって車がスリップし出す。
④『佛石寺』福禄寿がいらっしゃると言うことだが、雪が深くて寺の参道も行けず、行ってみると誰もいない玄関に「修行道場」の文字。禅寺らしい沈黙でどこを押そうが引こうが戸は全て動かず。
しょうがないので、裏にある仏舎利に雪をかき分けたどり着き、
「平和の鐘」なる巨大な鐘を一つ突いてくる。


 ここは「万葉文化の広場」というところらしく、はじめに行った新湊の弁天様もかすかに望めるほどの眺望。
 そうそう、このあたりやたらに「万葉」の文字が多いのは、万葉集の一番の出演者「大伴家持」が
この越中の国の「国守」として5年間住んでいて、その間に220余りの歌を詠んだ土地なので、そう呼ばれているようだ。
 
 さて、山を下り氷見に向かって走る。氷見の湊あたりでブリの丼でも食べたいなと向かうが、
市場はまだお休みで、なざだか湊の横の道の駅もお休み。しょうがないので「氷見カレー」なるものを食す。何が氷見なのか聞かなかったが、氷見牛を使ったカレーのようだが、さしたる特徴はなく、皿にドローっとのたっていた。
 
 で、⑤『千手寺』ここには寿老人がいるそうだが、またまたそんなものがどこにあるのかの表示も気配もない。寺の名前の通り千手観音が何かの指定になっていて有名なようだが、それも公開はしてなかった。
 
 

 会えるはずの七福神に会えないとなると、だんだん寂しくなってきて、寒さもしんしんと感じてきたりして。
高岡に戻り⑥『関野神社』に向かう。
ここは家紋からして天満宮のようで、受験生らしき若者達や家族でそれなりに賑わっていて、この日一番の繁盛の場所。ところでここはどなたがおわすやらと案内を見ると大黒天となっている。
あちこち探すが、全くそのお姿は見あたらず、神殿口両側にお座りの右大臣左大臣らしきすこぶる大きな像に代役をお頼み申す。

 さて、日も傾きかけて寒くなってきて、
 ⑦『総持寺』ここには毘沙門天殿がおわすとのことだが、またまた会えず。
考えてみたら、お会いできたのは弁財天と布袋さんだけ・・・・ちょっと「万葉の里振興プロジェクト」などと言う観光局の出先などがあるようだったら、しっかり七福神をPRして、人々に町を歩いてもらうことを目標にしてもらいたいと思ったが、富山県人はそんなムダなことはやらないかな?

2011年12月24日土曜日

デパートの風景


 世の中クリスマスという時期のようだが、クリスチャンでもなければ、サンタのプレゼントに心ときめかせる年の子供もいないと、そこら中に飾られる赤い色のものも、最近はどこもLEDになってきたきんきらのデコレーションも気にならなくなっている。
 せいぜい、年の瀬まであと数日しかないのかと再認識はさせてくれる程度の行事になってしまっている。

 そんな歳末商戦まっただ中に、年末のお届け物をとデパートの地下売り場、いわゆる「デパ地下」にふらりと出かけてみた。

 なんだか、ギョウザ焼きのオヤジや和菓子屋のお姉さんまでサンタの格好をしなくてもいいのに、などと鼻で笑いながら店を次々眺めていると、すごく懐かしくて思わず立ち止まって写真を撮りたくなったコーナーがあった。
 キャンディーやゼリー、クッキーの類をバラで大きな回転する容器に放り込んである、あのコーナーだ。カゴを手にそのカゴの中に好きなものを放り込んで、計り売りで清算するこんなお菓子コーナーがまだあったことに驚きながら、昔を思い出した。


 
 なにしろ、子供の頃はデパートと言えばこのコーナーが最高にときめいて、一緒にいる母親の顔色を覗き込みながら、今日はどれくらい買ってもらえるか算段し、下手すると知らん顔して通り過ぎてしまうので、どうやってここに立ち止まらせることができるかを必死で考えていたことを思い出す。

 屋上にあった小さな遊園地のような乗り物コーナーも好きだったし、キリッと帽子をかぶった綺麗なエレベーターガールのお姉さんにもそれなりにときめいてはいたが、何しろこのお菓子コーナーはダントツ!!
 
 そういえば、屋上のジェット機型の乗り物も無くなり、ベテランのお姉さんが新人に教えている時は、エレベーターの中に二人分の笑顔とちょっと裏声のアナウンスがあって、今日は得した!というあの感覚も今はもう無い。

 小学校に上がる前に、祖父に連れられて、町一番のデパートに気合いを入れて一張羅の服を着て出かけた。
屋上の遊園地で遊び、地下のこのお菓子売り場でいつもより多めにお菓子を手に入れ、ウキウキして自宅への道をスキップしていった。
 ところが、角を曲がり、そのあるはずの自宅の建物が炭になった棒だけになっていた。
おそらく、そのあたりにたむろしていた消防車がホースを片付けている風景の中で、私は歯を鳴らしながら震えていたのかもしれない。
 手はお菓子が入った袋を握って・・・・・・

2011年12月20日火曜日

新雪の上高地

いや~、予想はしていたものの、寒かった!
ことに前日平湯温泉のお湯にどっぷり浸かって温まったので、
なおのことそう感じるのかも。

 去年、山岳会のメンバーと来た時はもう少し雪が積もっていて、それでも夏場はひっきりなしにシャトルバスやタクシーが行き交う釜トンネルを足音を響かせて抜けると、そこは一面の雪の世界。
加えて、運良く晴天で、くっきりと白と青のコントラストを醸し出す青空がバックにあった。

 そのイメージで平湯温泉からバスでたどり着いた釜トンネル入り口。
誰も人がいない。

おまけに、トンネルを抜けると中途半端な雪の量とどんより鉛色の曇り空。
 
 とは言っても、人に合うことのない静けさを楽しむと覚悟して進む。
大正池が見えて、岸辺の雪の上を通り抜けると、後に雲に半分隠れた焼岳が見えてくる。


 焼岳おろしの風が吹き抜けてきて、温度計は-4℃を指していた。
全くの新雪の遊歩道。新雪を初めて音を立てて歩くのは、寒さの中でもささやかな楽しみ。


田代池を覗き、


 ひっそりとした山荘群のあるウエストン地区を結ぶ、田代橋の手前で一群れの猿たちに出会う。
写真では見にくいがふっくら冬毛に覆われた6頭が木々を渡り歩いていた。

 



 河童橋手前あたりで、今度は穂高おろしの風が強くなり、ビジターセンターの影に逃げ込む。


 寒さしのぎにと持参したワインのボトルを空けようとするが手がかじかんでコルクもなかなか抜けない。一息にワインを流し込むが寒さで胃の中で融けるのに時間が掛かっているようだ。


 色のない冬の風景の中でこんな看板がホッとさせてくれたりする。


  中の湯バス停→釜トンネル→大正池→田代池→河童橋・ビジターセンターの道を往復し、
中の湯バス停からバスで平湯温泉へ、約5時間の行程。
 凍える体を溶かすため、平湯温泉バス停の建物の中にある温泉に駆け込む。


2011年11月27日日曜日

焼酎街道 二百名山No.37『尾鈴山』(1405m)

 尾鈴山、と聞いて、
どこかで見たことのある名称だなと思ったご同輩は、
おそらく焼酎好きなのではないかな?
 かつて皇太子様が「美味しいぞよ」とのたまったおかげで大騒ぎした焼酎「百年の孤独」や「山ねこ」などの焼酎を世に送り出している醸造会社「黒木本店」は尾鈴山の麓にあり、自ら「尾鈴山醸造所」としてボトルのラベルなどに尾鈴山の名称を入れている。
 
 今回の尾鈴山は、九州にある日本百名山、二百名山のうち、ただ一つ登ってない山だっただけに、何時かは登ってやろうとじっと機会を待っていた山。

 11月13日、前夜は泊まりの西都市であらかじめ焼酎をしっかり体に補給し、早朝、焼酎臭い息を吐きながらそこからレンタカーで尾鈴山へ向かう。
川沿いの道を進んで、橋のたもとの入山届けのポストのある場所に車を停めて、林道を歩き紅葉が色づく登山口に9:00到着。
 
 いきなりの急な登り道。汗から昨日の焼酎がにじみ出てくるようだ。

 何合目何合目とご親切に看板が立っているのだが、
7合目あたりから「えっ、もう1合分歩いて着いたの?」と感じるような感覚になっていて、
これはもしかしたら・・・最初はきっちり距離をはかって看板を立てていたのを、
途中で、ありゃいかん!距離が足らない、このままでは看板が余ってしまう!
と慌てて立てていったのではと思わせてくれた標識。


 それにしても、全然人に会わない。
と思っているとニョキッと、人が肌をさらけ出しているような姿のヒメシャラの木が現れてきたりする。

 標識と言えば、登山道を示す「赤符」のリボンが「火の用心」と書かれたビニール製で、
統一して大量に作られたモノのようで、木の枝にもくくりつけやすいような形の、なかなかのすぐれもの。
 というのも、これまで色んな山に登ってきたが、色といい形といい赤符の統一した規格が無くて、
本当にこれが登山道なの?と迷いそうになるものや、布が色あせて木にひっかかったボロきれなのか、赤符なのかわからないというケースが多いのだ。
早くこれを全国統一規格などを作って、どこの誰が見ても登山道を示すものだというものにしてもらいたいものである。

 などと感心しているうちに、頂上に近い「尾鈴神社」の鳥居が見えて、
 頂上に到着
 あっけないくらい、景色も作りも何もない山頂の看板前に10:30到着 
それにしてもこの山、シャクナゲがそこら中にあって、下りは「シャクナゲ千本林」なるところを抜けていく。


 下りで出てきた奇妙な看板
 片方は山頂、もう一方は駐車場を指している看板。
これが進んで行くうちにいくつも出てきて、一体どこの山頂や駐車場を指しているのかわからなくなってくる。もしかして、これも予算取りだけは先にして、必要以上に作ってしまい、立てるところが無くなってきたので、そこら中に立てているような、考えてみたら登山者に危険を誘導するような怖ろしい看板。
 季節も季節だから人がいなくて暗いイメージの山で、リュックサックに焼酎を入れておくのだったと後悔するくらい肌寒く感じてくる。
 瀑布群なるものもコースをめぐればあるようだが、滝の水などかぶってこれ以上寒くなりたくはないと寄らずに下山する。

直径20cm以上はあるサルノコシカケ


 ついでに、もう一つ焼酎の話。
前日、時間があったので寄ってきた『明るい農村』のブランドで焼酎を造っている霧島醸造所。
 3年ぶりに訪れたが、しっかり綺麗に改築されていて、商売っ気が一杯。
なかなかやるやんか!と勢いに乗って、『明るい農村』と焼き芋がベースの『農家の嫁』を買ってしまった。



どこでも「元気」が一番で、それを夢にするこの酒蔵はエラい!