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2011年8月16日火曜日

百名山No.88『間ノ岳』(3189M)No.89『北岳』(3193M)ついでに二百名山No. 36『農鳥岳』(3026M)

 今回はこれまでの山登りのうちで極めてきつい日々を過ごしたな~。
8月13日、1日目。
午前3時半に集合して、4人で一路芦安温泉へ。この温泉に浸かることを最終目標に登山口に向かう。芦安の市営駐車場から乗合タクシーでまず広河原へ、そこでバスに乗り継ぎ今度は奈良田方面に進み、途中の「奈良田第一発電所前」で下車

 林道沿いにいくつかの橋を渡り、これは軽快な道だと思いきや

 さびれた休憩小屋から登山道に入り、ひたすら登ること3時間半、
山の地図のコースタイムを1時間も短縮して今日の宿「大門沢小屋」に到着。
最年少のうちの息子(高3)を含め、強者先生2人に、ちょっと「とばしすぎだよ~、」とつぶやくが、何ら効果無し、さっさと先に進む。
 そういえば、この山小屋、私の知る限り何ともクラッシックな山小屋で、板を渡しただけのトイレとシャワーユニットのアンバランスさはちょっと面白かった。
とりあえず1日目は翌日のために体力温存。
 
8月14日、2日目。
 今日は北岳山荘まで行くという行程を聞いて、山小屋のオヤジさんは朝食を30分早くしてくれた。
4時半朝食で5時に小屋を出発。
 標高差1200mをひたすら登って行き、「もうすぐ白山と同じ標高だよ」「そろそろ、高山病危険高度2800mだ!」とうめきながらどうにか尾根に登り付く、これまた地図では4時間半のところ3時間半で到着、午前8:30。
 「早いよ~、ちょっとペースダウンたのんます~」とあえいで懇願。
その尾根の分岐点「大門沢下降点」には鐘の付いた黄色い塔が立っていて、妙にかわいく見えるが、25才の若さで遭難した登山者の慰霊の碑だとか。そういえば、この地点「下降点」であり、「到達点」ではないらしい。要するにこの登りは余り登りとして使われないようだ。そんなところを登って来たわけだ。
ふと振り返るとぼんやり積乱雲を抱えた富士山の姿。




 さて、気合いを入れ直して第一の目的地『農鳥岳(3026m)』へ。
  これは私の願いが通じたのかコースタイム通りに1時間、午前9:30。でも、だんだん風景が岩ばかりになり、風景や植物で楽しむことのできない岩場が、どうもただ足もとを見て登るだけという感じで好きになれない私には、だんだん苦痛になってくるし、空気が薄く感じ呼吸も苦しくなる。

 農鳥から『西農鳥岳(3050m)』を越えると、次の目的地『間ノ岳(あいのだけ・3189m)』の裾にちょこんと「農鶏小屋」の赤い屋根が見える。
 農鶏小屋到着が11:30、ここで朝の出発から6時間半。
陽射しがジワジワ強くなり紫外線に焼かれそうな感じの中で昼食。小屋の売店で真っ先にペットボトル入りコーラを購入し喉を潤す。
 
 ここから、しっかり3人から遅れだし、反対にやっと自分のペースで歩けるが、ひたすらつまらない岩場の連続。空気が益々薄く感じ、20分歩いて10分休むペースで前の3人の姿がだんだん遠くなっていった。それでもどうにか『間ノ岳』頂上へ!ゼイゼイ言いながら、これほど苦労した百名山は初めてだと感慨もしぼむほどのよれよれ状態。

 いつの間にか、次の目的の山『北岳(3193m)』の姿もちらちら見えてくる。
  3人から遅れること約15分、夕立がやってきてびしょ濡れになりながら今夜の宿の「北岳山荘」に到着、15:15 今日は10時間15分歩いてきたことになる。
 この小屋は山荘と言うだけあり設備はすごく整っていて、トイレは綺麗だわ、食事はうまいわ、特設診療所があり、山ガールもそれなりにいて、ちょっと気持ちがほぐれ、外を見ると夕闇に浮かぶ富士山と満月。
        

 8月15日、3日目。
 疲れは頂点にきているし、過去の高山病の症状、ガンガンする頭痛と激しい吐き気は寝ている間に起こっているので、なかなか気になって眠れなかった。
1人に布団一枚という好条件(3人で布団2枚とか、1人半畳なんてところも混んできたらある)とは言え、まるで強制収容所かというずらりと並んで寝る山小屋の状況下、狭くて締め切った場所でみんなが一気に呼吸をしたら、だんだん酸素の量が薄くなり、その分呼吸も苦しくなるのではと1時間毎に外に出て深呼吸を繰り返した。と簡単に言うけど、消灯は8時、起床は4時過ぎ、都合8時間の戦い。
 それでも、せっかくのいい天気、ご来光の感動は享受しておかねばと肌寒い外で日の昇るのを待つ。
 北岳の峰から雲が弧を描いて下りてきて、富士山の姿が朝焼けに染まりだんだんはっきりと見えて、なかなかの風景が目の前に広がる。



 
 今日は下山して温泉に入れる!ブヨに食われまくった足も、アカだらけの背中も温泉でスッキリできる!高山病対策にと飲めなかったビールもたらふく飲んでやる!と5:45北岳山荘出発、岩だらけの風景が続く中、北岳頂上には1時間後の6:45到着。



周りを見渡すと遙か向こうに穂高連山や槍ヶ岳の姿見見えて、仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳が目の前にどんと座っていた。


 よし、これでどうにか目的達成!肩の小屋から白根お池、二俣から川沿いに下り、広河原山荘にはお昼丁度に到着。思わず生ビールを注文し、一気に飲み干す。

いや~、今回は疲れた。
芦安温泉『白雲荘』の夕飯は山小屋に比べると余りにも豪華!だが、さっき池から捕まえてきたニジマスの刺身にも手が付けられず、地酒の『夜叉神』をグラス3杯でぐったりお休みモード。時間は夜8時、ちょうど山小屋の消灯の時間。




百花繚乱 夏の霊峰白山

 8月6日
 普段からツアーと称する団体行動が苦手で、こと登山となるとひとりが楽しみたいのに何でこんな烏合の衆の中にいなくてはならないんだ!と喚くところだが、今回の白山登山は全国から友人・知人達が「まだ白山に登ったことがない。ぜひ連れて行って欲しい!」と集まってくれたので、保険もしっかり入れる初心者向きのコース設定で、地元白山のローカル雑誌『山女(やまめ)』のツアーに参加してみた。
 そもそも、ひたすら自分のペースで山は登りたいもので、グループだととかく前後を歩く人間を気にして調子が狂ってしまうものだが、今回は参加者総勢40人近くで、それも半分ずつ観光新道登りコースと砂防新道登りコースにわかれ、その上自分とリズムの合う人と勝手に登って下さい、途中何度か休憩中に点呼を取ります、という楽なものだっただけにどうにかついて行けた。
 それと去年登った時に私たち県民の水の源であり、すなわち命の源である白山に感謝の気持ちで、年に一度は登ろうと決めただけに、機会があればいつでも!という気持ちが強かったようだ。

 前日、白峰温泉の旅館に集結した知人・友人は4名。遠くは北海道帯広、奈良・生駒、名古屋、岐阜・美濃加茂からで、うち2人はほとんど登山初心者。
 別当出合から観光新道登りコースを進むと、途中で霧が登って来て、やがて雨が降りだし、しばらく濡れながら、馬の背あたりでは「もうダメ・・・」とへたり言葉を吐く者もいたが、おおむね順調に進み、昼食休憩の「殿が池避難小屋」で息を整える。



 このあたりから、20数種類あるという「ハクサン・・・」の名の付く高山植物や多くの花々がそこここに見えてくる。ついでにどでかいナメクジもいた。
 蛇塚~黒ボコ岩と進み室堂センターに到着したのは、出発してほぼ5時間の午後1時半。


 さて、団体様ご一行の宴会が3時から始まるというので、それまでに見ておきたいものがあった。
それは我が石川県の花で、まだ一度もお目に掛かったことのない『クロユリ』
前の週に登った山岳会のメンバーから「室堂の鳥居を抜けて左に回ったところに群生していた」との情報を得ていたので、早速そちらに向かう。丁度、白山自然保護会(だったかな?)の方々のボランティア自然観察会が始まっていて、その解説を小耳にはさみながら目的地に進む。
 あった!ありましたがな!いやいや、予想していたより小さくてよく見ないと群生しているとはわからない、ひたすら目立たない花で、石川県民の奥ゆかしさそのものではないか!と感動してしまった。その他諸々、コバイケイソウからコイワカガミなど色んな花がありすぎてどれに目をやっていいのかわからないくらいで、白山が人気のあることがよくわかった。





 翌8月7日早朝、ご来光を頂上で見ようと、まだ暗闇の中、ヘッドライトの列が頂上までの40分くらいの距離を線になって続いていた。
多くの人が見守る中で闇はだんだん薄くなっていきご来光の登場。

 今回の団体の登山会のもう一つの目的が、その仲間で去年若くしてこの世を去った青年の供養にと、彼の生前の「死んだら骨の一部は白山の頂上の標石の下に埋めて欲しい」という願いを叶えるため。さて、ここまで連れてきてやったぞと骨を埋めようと石をずらすと、そこにはすでに他の骨があったとのこと。それほどこの白山は愛されていたと言うことがわかる逸話になった。
 加えて言うと、このご来光を見守る多くの人々の目の前に一つの飛行機雲が大きく上昇して、龍が登るがごとくその後を描いていった。死んだあいつがみんながきてくれて喜んで空高く登って行ったんだと口々に話していた。
合掌。