山から下りるときは、早く風呂に入りたい!と唸りながら、汗で貼り付いてくる重くなったシャツを気にしながら歩を進める。
登山の後は地元の温泉で「うい~っ、極楽極楽」と言いながら湯船に浸かり汗を流すのがいつものパターン。
今回の山「三ノ峰(2128m)」は白山の福井県側から登る登山道の途中にあるが、ここの麓にあった名湯『鳩ヶ湯』がご主人の不慮の事故が原因で休業になり、下界に下りて越前大野の市内の銭湯に行くことになった。
車のナビで探すと市内には数軒の銭湯マークが画面に現れ、「日の出湯」「東湯」というきわめて典型的なネーミングの2件が目立ち、これは狙い目だと感じ「東湯」へ。
これが予想通りの木造のレトロ感で、これぞ正しい銭湯のあるべき姿!と主張しているようで、長い年月を重ね年輪や薪のすすをため込んでいるような風貌。
窓にたれた簾からは入浴客達の会話が風呂桶のぶつかる音と共に流れてきて、「良い感じやな~」と首に巻いた新しいタオルを握る手に力が入ってしまう。
富士山の絵ののれんをくぐり、男湯のちょっと立て付けの悪い半開きの戸を引くと、昔懐かしい番台があり、女将さんらしい人が、番台から下りて、男湯と女湯の間のカーテンを半分かぶりながら、女湯の常連客と話し込んでいた。
「あら、見たこと無い人だわね・・・」という視線でちらりと見られて、壁に貼ってある「大人四百円也」の文字通り硬貨を渡す。
靴脱ぎ場には下足入れのボックスもなければ、脱衣場の真ん中には大きめのテーブルと長いすがあり、テーブルには何だか怪しい文字の地元経済雑誌が積まれていて、足下にはこれまた懐かしい竹で編んだ大きな脱衣カゴがいくつか置かれていて、壁には脱衣用のボックスはあるものの、その扉にはコインを入れる装置もなければ、カギそのものも付いてない。
お風呂はといえば、典型的な熱めのお湯が満々とたたえられた大きな浴槽と、片隅にジェットバス仕様の泡の出る一角があり、もう一つの小さめの浴槽には薬草か何かを網に詰めた物が蛇口の横にぶら下がっていて、薄くなった麦茶のような色のちょっと温めのお湯が入っていた。
残念なのは、富士山か松の絵などの、かつては大きな絵があったのかもしれないが、白く塗り込められた壁。個人用の蛇口は赤はお湯、青は水の二つの丸い取っ手の付いた押さえて出すやつ。
もう、正統すぎて感動するほどの銭湯である。
そして、もう一つ、入ってから妙に気になっていた物がある。
風呂場の扉横にある年代物の体重計である。
人が乗る台に歴史を物語る足形がしっかり付いている。右側の足跡の方が左のそれより大きいのは、利き足が右の人が多いと言うことだろうか?
もっとよく見ようと近くに寄ってみて、文字盤の中に横文字があり「KANAZAWA JAPAN」とあり、
次の瞬間、ぎえ~っ、とのけぞって驚いてしまった!!
製造メーカーが、な、なんと、うちの会社の前身の会社の一つで、北陸で唯一はかりを専門に作っていた会社だった。
明治の時代に発足したその会社は、何せ物の基本となる測量を担うはかりの製造メーカーだけに、お国の事業の一つに挙げられ、地元金沢の名士の方々が発起人に名を連ねていたとのことだが、余りにも基本に忠実すぎたのか、はたまたデジタル化の波にのまれることを予感したのか、徐々に衰退の一路を辿り、30数年前うちの会社の傘下に組み込まれた頃には、会社名には「衡機」とはかりを表す文字があった物の、すでにその製造はしていなかったし、私もその製品をこれまで一度も見たことがなかった。
そんなもう見れない、会えないと思っていたものに、越前大野の銭湯で出会ってしまった。
なんたる奇遇であることか!
これまた年代物の冷蔵庫から牛乳を取り出し、番台に座った女将さんに牛乳のキャップを開けてもらっている間に、このはかりのことを聞いてみると、「私が嫁に来た50年前にはそこにあったから、そうだね80年は使っているかね」とのこと。
80年経ってもしっかりはかりの現役で毎日何人もの濡れた足を受けているわけだ、すごいものだ。
なんでも表示板の文字の黒い文字の所は残っているが、赤い文字は日に焼けたのか退化したのかほとんど見えなくなって、弱ったことに黒い文字は「貫目」を表示していて、赤い文字はKgを表示しているので、赤いkg表示がほとんど消えて「ここのうちはいまだに何貫で体重計るのか?」と言われたので、女将さんが薄くなった文字をなぞって赤いマジックで数字を書いたとのこと。
さて、こんなものを見つけてしまったからには、この銭湯にはちょくちょく通って、頃合をはかってタニタの最新機体重計でも抱えて、これの代わりに譲ってくださいと頼み込む日も来ることだろう。
まてよ、それよりも全国で生き残っている銭湯で、サウナ装置も付けず、カラオケコーナーも併設しないで地道に営業している所には、まだまだこのはかりは活躍しているかもしれないな。
これからは銭湯巡りも趣味の一つになるかもしれない。