記憶を辿るとあの人の映像は30年前に遡る。
高校を卒業し、次の進路の大学への進学のため東京へ旅立つ数日前、金沢の文学同人誌仲間が、会員のやっている小さな喫茶店兼スナックで、ささやかな送別会を開いてくれたときのこと。
そうそう、その当時の私のペンネームは「路万ろらん」
大好きだった文豪ロマン・ロランの名前をぱくったふざけた名前だけど、その名前をそのまま使った「路万ろらん」が、再開発で近く取り壊されるその店の名前。
私は子供の頃からの詩の文字並べが面白く、高校時代から地元金沢の『大地』という文芸雑誌の末段を汚していたのだが、毎号その詩の部門の評価をして頂いていたのがあの人で、手書き原稿の転写版の雑誌から、活字の文学雑誌に来ないかとその当時誘われていた。
確か、小雨かもしくは雪がちらついていたかもしれないその日、
コートの裾を翻し帽子を傾けてかぶったあの人は、乾杯を済ませたあとの席に駆け込んできた。
「これからは君ら若い人に時代だ!」などと得意なぶちかまし話法に、
田舎の文学少年はその気になり、「頑張ります!」などと答えたのか、
よく覚えてないが、ひたすら飲んだことは記憶にある。
ちょうどその頃、40才前半のあの人は、プロを目指す作家を世に送り出すためにと、新しい文学同人誌『金沢文学』を創刊の大変な転機の次期だったと思うが、たかが一学生の小さな転機に駆けつけてくれたことは、私の人生に大きな印象を残している。
その後あの人は、50才からの逆走と称し50才を境に若返り宣言をして、
その活動は離れていたものの同人としてつたない作品を掲載して頂いていた私にもいろいろと伝わってきた。
10年ほど前、所属する会社が極めて厳しい次期に突入し、その代表を引き継いで、四苦八苦している最中、『金沢文学』への私の原稿が、
いとも簡単にある編集者の手により修正されていたことが原因で、
というより、それをいいわけに、まったく詩を書く意欲が薄れ、
世俗の波にのまれ続けていた私に届いたのが、あの人の突然の訃報。
昨年、11月27日に東京の地で急逝されたとのことだが、
偲ぶ会はあの人の逆走から25回目の誕生日の翌日、
2月11日に行われ、全国から文学関係者が参列した。
私は、余り他人の作品を読む人間じゃないので「影響」されることは極めて少ないと思っているが、あの人「千葉 龍(ちば りょう)」の詩のいくつかのセンテンスに、もしかして、私の詩の影響かな?などと偉そうに錯覚してしまうところがあると、それは決して私のものを読んだからではなく、
詩に対する同じ思いがどこかに宿っていただけだと改めて感動することしきり。
ちなみに、あの人の亡くなった11月27日は私の誕生日で、
あの人が逆走を始めた50才を私は今年迎える。
合掌。
1 件のコメント:
文学や活字は時代を超えて伝わりゆくもの。あの方の詩も脈々と後世に伝わってゆくのでしょう。そういえば、父が結婚した時の唯一の所持品はロマンロランの本と聞く。確か納戸に残っていたはず。
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