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2011年7月23日土曜日

百名山No.87『幌尻岳』2052m どうにかリベンジ!

 昨年もお世話になった北海道平取町の「とよぬか山荘」
山荘と言っても旧豊糠小中学校の校舎をそんまま宿泊施設として使用していて、去年はその校舎の裏にある職員宿舎跡の宿泊所には他に誰もいなかったが、今年は季節がいいのか3つの部屋にそれぞれグループと個人が宿泊していた。
 
 7月9日 朝3時、といっても全くの暗闇の中、登山口ゲートまで他の5人とワゴン車で向かう。
約1時間半後、去年も車から降ろされた広場に到着、去年と違うのは「バス待合室」というプレハブができていて、1日に3往復しかないバスに乗り遅れた人の臨時滞在場所にもなっていて、日はすでに昇り、その待合室から今目が覚めたという何人かの声が聞こえた。
 ちなみにこの場所に来るまでにカギの掛かったゲートがひとつあり、それを開けてこれるのは、この地元の定期便のバスの運転手と山小屋の管理人、そして電力会社の担当者だけのはずなのだが、去年も今年もそのカギを壊して進入してくるものがいるとのこと。車で1時間半かかる距離が通行止めなのだから、気持ちはわからないでもないが・・・・

 さて、4:20ここから歩き始め。

林道をもう一つのゲートまで約40分
 そしてまた進むこと1時間半で北海道電力取水口6:20
 ここからが難関の十数回ある川渡り。
一緒にバスに乗ってきた単独の女性が寄ってきて「今日は行けますかね?」と。
聞くと昨日雨の中ここまで来たのだが、川が増水していてあきらめて帰り、今日が再トライトのこと。去年の経験から多少の増水でも進むつもりできていたので「行けるんじゃないですかね」と軽く答えて出発。
  水の深さは時折腿のあたりまで来て、時折「我が息子」ふんわりとひんやりの狭間に浮かんでいるのを感じながら、流れに押し流されそうになること数回、それでも予想以上にスムーズに進め、2時間半後8:50、どうにか幌尻山荘に到着。
 すぐ後から、朝、取水口でどうするか迷っていた女性が「思い切ってきてみました!」と川渡りで使うために河原においてある金剛棒みたいな2m位の長さの棒を持って現れる。

 昨年はここにたどり着いた時点で雨が降りだし、頂上へ向かうこともあきらめて下山することを選んだが、今回は前日の雨でぬかるんだ登山道をひたすら進む。

 10:40頂上までのほぼ中間点にある「命の水」に到着。登山道から小さな雪渓を辿って雪解け水の冷たさに喉の渇きを潤す。


    道はやがて尾根道になり、岩場も出てきて、戸蔦別岳(とったべつだけ)や回りの山々がスッキリ見えてきて、大きな広がりの北カールから頂上へ

 
  12:40頂上到着。雲は所々に流れていたけどすこぶるいい天気で、北海道の広さを改めて感じる。


 のんびり景色を楽しみながら3時間で幌尻小屋まで到着し、板の間に毛布一枚の支給しかないこの小屋では、当然食事は自炊。食事が終わり、消灯の8時まで本でも読むかと思っていると雨が降りだし、深夜から早朝に掛けては、雨粒の大きさがわかるほどの大雨で、「これはまずいな・・・」と夜明けを迎える。

 7月10日 川の雨量の目安として、小屋の近くの川にある石が水から出ているかどうかで、下山できるかの判断するとの事で、この日宿泊した16人は代わる代わるその石の状況を見に行っていた。
 が、しかし、石がどこにあるのかさえわからないくらいの水量で、11時のバスの時間に間に合うにはこれが限界だと5時過ぎに出発しようとすると、小屋の管理人が強い視線で「無理だ!」と一喝。
「こんなところだとあきらめて、もう一日ゆっくりしていきなさい」とのお言葉。下山して帯広に住む娘と一杯やる予定だったし、明日になれば平日勤務日なのに・・・と歯がゆい思いの中、観念することにする。

 写真真中ちょっと上の黒い石のその手前の石が目印。といってもよくわからないだろうが、下の写真は雨も上がり数時間経って、かすかにその影が見えてきた。
 
 さて、大げさに言えば閉じ込められた16人はそれぞれ色んな所からやってきていて、何と、朝、取水状でどうするか迷っていた女性は、この幌尻岳が百名山の96個目で、福井県の「荒島岳」を最後の100個目に上る予定だとのこと。何で荒島岳?と聞くと、その方の名前が「荒島さん」。
この間も空木岳でそんな話聞いたなと、同じ名前の山があってうらやましいなと感じる。
 
 みんな、しょうがないな・・・という表情の中、私もそうだったが余分な食料を持ってきてない人もいて、そこで名物管理人がひと言。「それじゃ、炊き出しにするか!」
 どこからか大きなガスボンベと大鍋、カレーのルーとタマネギとジャガイモの束が登場。女性陣が次々と調理をして、後は煮えてくるのを待つばかり・・・・

あまり経験したことのない和やかさが山小屋にいる人々を包み込んでくれた。ほぼ24時間この山小屋にいるのだから、携帯電話も通じないし、何もすることがないとは言え、時間は使い用だなと感じること頻り。


  ↑右端のおじさんが管理人、その横が町の有名人で町史の執筆などもしている物知りおじさんで、今回は一人の老婦人のプライベートガイドとしてここにたまたま滞在。
  7月11日 例の目印石が顔をのぞかせて、物知りおじさんの誘導があるならと下山許可が出た。
ほっとして一晩で仲良くなったみんなと記念写真。
 さて、「正しい川の渡り方教室」という感じで、全員で何度も手をつなぎ合って川を下っていった。

  まだまだ自然の多い北海道。ほんと、今回はいい経験をさせてもらいました。
毎年何人かの水死者も出るという、これだけ苦労しての川渡りなら、山側に一つ登山道を作ればいいのに、と思ったが、何でも山側は人間より熊達の方が居住権と生活権のプライオリティが高く、簡単に登山道も作れないとのこと。
 ちなみに管理人も前夜交代要員が登って来て、久々に町に戻れると思っていたようで、その代わりの人が前日仕留めたイノシシの肉を担いで登って来る予定が、残念ながら増水で来れず、またしばらく山小屋に閉じ込められて、楽しみにしていた動物性タンパク質も口にできないな、と苦笑いしていた。

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