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2014年10月5日日曜日

ハノイにて

 久しぶりのブログだが、書き方も忘れている(笑)

 今日は今回ハノイに来て3日目の日曜日、金曜日の夜にラオスのビエンチャンからハノイ入りしたので、この町で初めて週末を過ごすことになった。
 もうすでに20回くらいこの町に来ているが、はじめの何回かのうちで、いわゆる観光名所なるものは現地の取引先が連れて行ってくれ、どこも社交辞令しか言葉に出てこない、私にしてみれば、どうでもいいような場所ばかり。ガイドブックを開いてもさして行きたいところもない。

 ベトナムの首都であり、それなりの都会なのだが、便利さになれてしまった日本人にとって、近所にコンビニがないことにこれほど困る町はない。町のあちこちに食堂やカフェらしき店の前の歩道上で、子供用の物としか見えないプラスチック製の背の低いイスに座って、お茶を飲んだり麺をすすっている人々の姿をよく見かけるが、その横にはだいたいこれまた子供用のいすに座ってジュースやビール類を、サンプルみたいに並べて売っているおばちゃんやおじさんがいるが、炎天下に晒されてほどよいぬる燗状態になった物はなかなか手が出ない。 
 缶ビール一日分数缶とちょっとしたおつまみ、それに小腹が空いたときの3個入りいなり寿司、くらいしか日本にいてもコンビニに入る目的はないのだが、それが出来ないのがすこぶるつらい。
しかたなく、散歩と称して冷えたビールを探しに行く。

 私がだいたい滞在するのは、観光客とバックパッカーでごった返しているホアンキム湖の南、毎朝の散歩をする公園を探しているうちに見つけた、大きな池のある「統一公園」近くのハイバーチュン地区にあるホテル。公園に近いと言うだけで選んだつもりが、上海の中山公園、バンコクのルンピニー公園になんとなく似ていて、なぜか近くに最近日本人が増えてきたのも妙に似ているようだ。
 そのハイバーチュン地区からひたすら北に行けば、冷えたビールも見つかるだろうと歩き出し、とりあえず大教会なる建物まで来る。日に何度か鐘が鳴るようだが聞いたことが無く、そもそも教会  
とはもっと公共性があり誰も入って良いはずだが、柵がしてあり入れないし、入場料を取ってみせる節もない、あるだけ、のつまらない建物。
 
その忘れ去られた遺跡みたいな建物の回りに、短パンとタンクトップ姿のヨーロッパ系の観光客が一気に増えてきて、みんな地図を片手にうろうろしている。
地域的にはホアンキム湖に近く、土産物屋がわんさか軒を並べているもののビールとかっぱえびせんが買えそうな店はない。
程なくして地図上で言う旧市街に入り、繊維街、建具街、仏具店街などの筋を次から次に歩いているうちに玩具街に入り込み、すごく懐かしい物に出会う。
 

昔の日本でもどこの家にも出産グッズの中に入っていたんじゃないかと思われる起き上がり人形。倒して振るとカラカラ音がするやつだ。この国では玩具店の一番見えるショウケースに入っている。
 
それだけ需要があるということだろう。

 しばらく行くと楽器屋街、楽器と行っても太鼓や笛など催事や祭りに使うような物ばかりで、
銅鑼の専門店などもある。

だんだん、このあたりで道がわからなくなって、いわゆる迷子状態。方向磁石を持ってくるべきだと思ったが、まあ、どうにかなるさと、歩き続けて、着ているポロシャツが汗で塩を噴いている。
缶ビールを買うより早く飲みたくなってくる。

  そうそう、ベトナムと言えば、女性は道行く人全てアオザイに包まれて、その曲線美にうっとりする、なんてことは全くない。例えば日本で和服姿の人が新宿西口にわんさかたむろしている、ということがないように、ベトナムでもアオザイの女性はローカルの高級レストランの店員か、祭りの時に見るくらいのもの。
こんな派手なアオザイを着るのは、日本で言えば銀座のクラブのママさんくらいなものかな。
私はこれまでこんな服を着た現物の女性は見たことがない。

と思いきや、いましたいました!
結婚式のパーティーだろうか、レストランを借り切り、歩道は完全に、車道もその幅の3分の1は選挙して派手にやっていたが、誰が新郎でどこに新婦がいるのか、着ているアオザイが派手すぎてわからない。赤いのが新婦だろうな。

しばらく行くと、竹専門店。竹に埋もれている店員がパンダに見えてしまった。
歩きに歩いて4時間あまり、ヘトヘトになり、足の裏にまめが出来ている感覚があり、
ホアンキム湖の風景でも眺めながら湖畔のカフェでとりあえずビール。
う~、うまい!
あれ?それにしても週末とはいえ、この静けさは何?
土石流のように流れてくるバイクも車のクラクションも聞こえなくて、カフェに流れる懐かしの70年代ロックが湖からの風に乗ってきて、道路は通行止めで歩行者天国状態、通っているのは人だけ・・・何これ?

池の横にある観光名所「玉山祠」に渡る橋に並んで大きなデコレーションがあり、
10.10.1954-10.10.2014の文字。
そう言えば、町のあちこちに祭りの飾りが付けられていたし、妙に国旗の数が多いと思い調べてみると、10月10日はハノイ解放記念日だとのこと。それも今年は60周年。

何だか向こうから銅鑼と太鼓の音が響いてきて、そちらへ向かうと、こんな団体が次から次へと出てくる。看板には「National Doragon Festival 2014」とあった。


「国民ドラゴン祭り」?
横浜や神戸の中華街の祭りで見るあの竜を操る団体舞踏のことのようで、それの全国大会と言うことなのだろう。日本で言えば全国獅子舞大会みたいなものかな。
さっき楽器屋で見た銅鑼や大きな太鼓などの鳴り物がしっかりそろえられている。
町一番の観光地の道路を通行止めにするくらいだから、浅草雷門前の通りを通行止めにして、全国獅子舞大会を催す、それに近いものかも。

それが、全国からトラックに乗ってやってきているようで、それぞれお揃いのユニフォームというか衣装を着ているのだが、孫悟空の集団が次々出現して、如意棒で竜の体をくねくねときれいに波打たせている、そんな風にも見える。
その孫悟空も人材不足のためか若い男子だけではなく、ご老体もいれば女性もいて、この暑さの中ちょっとつらそうなおじさんもいたりして。
おかしかったのは、それぞれのチームでそれぞれの孫悟空衣装を揃いで着ているのだが、
履いている靴・シューズはみんなバラバラで、手作り感が伝わってきたりする。

結局、この後ホテル近くの日本料理居酒屋で、牛すじ煮込みをつつきながら生ビールを飲んだ。

2014年2月8日土曜日

わんさかの一日  雪?の高速

雪が音も無くしんしんと降る午前5時45分、
まだ夜明け前の金沢を車で出発。今日の目的地は京都。
設定したナビは到着時間10時15分だが、
そんなに時間は掛からないというこれまでの経験で、京都着9時と見た。

雪は高速道路の進行方向の視界は、ごく普通の走行時とスピードは変わらない程度の雪の降り方と道路の積雪。
これならもっと早く着くかなと思っていた矢先、前の車がハザードを点灯し始めた。
「ありゃ、除雪か・・・」
これだけの積雪だから朝早くから、除雪車を出動させるのは当然だろうと、
あきらめて時速40kmでしばらく列に並ぶ。

こんなハザード点灯の地域が福井県と滋賀県の二カ所で待っていた。
でも、これって何?と感じたのろのろ運転。

高速の数台目に「除雪作業中」の表示点滅の2台の除雪車。
しっかりと走行車線、追い越し車線をふさいで、「追い越し禁止」の表示も点滅している。
この状態が滋賀県のいつも雪の多い木之本インター手前から長浜まで、
調べてみると距離にして15kmくらい。雪は時折パラパラと落ちてくる程度。
その間、道をがっしりと塞いだ除雪車は、ほとんど雪の積もってない道を「除雪作業中」でゆっくり走行する。
あまりにもヒマなので、よ~く見てみると、除雪をするための特殊車のスコップみたいな部分が道路から離れて持ち上げられている。要するに除雪なる作業はは全くしてない状態。
それでも、おそらくマニュアル通りに除雪中の点滅を輝かせてのんびり時速40kmで道をふさぐ。

私にはどう見ても、休日出勤の手当を受給するための時間稼ぎの行動にしか見えない。
お役所らしいと言えばお役所らしいが、そのノロノロ運転の後ろに100台以上の車が迷惑を被っている。
そんなヒマがあったら、雪で今日は本当に大変な関東地方に派遣させろ!と言いたくなる。

これが、何とかミクスとか言うヤツの現実かなと感じてしまった。

2014年1月4日土曜日

ミラノで思ったこと

 展示会への出展で、11月29日から12月9日までミラノに滞在した。
とは言っても、ミラノの中心部から地下鉄で40~50分かかるミラノ郊外の寂れた場所に、巨大な展示会場はあり、しかも、10日間という長い長いの会期中、午前10時から午後10時半までの開催時間で、その間しっかりと拘束されていたため、町に出かけて観光することも出来ない日々。
毎日ヘトヘト・・・・

一日の中で展示会ブースでやることと言えば、ひっきりなしに流れ込んでくる入場者の様子を窺いながら、立ったり座ったり、昼食と夕食の食事時間が近づくと交代で展示会会場内の色んな国のレストランや軽食売り場で空腹を満たし、ちょっと退屈になったら色んなブースに足を伸ばし散歩がてら買い物をする。

午後9時を過ぎても客足はそれほど衰えることもなく、反対に一杯飲みながら会場で騒ぎ出す若い連中が増えてきたりする。それでも、10時には店じまいをして、氷点下になる外に出て、地下鉄の駅二つ隣の、回りに何も無いホテルにたどり着いてシャワーを浴びて一杯やるかの頃には日付が変わってしまう。


これだけの状況の中で、3度目とはいえミラノをもしくはイタリア人を語るのはおこがましいことこの上ないが、とりあえず、今回の滞在で感じたイタリア人像。

1)きわめて時間にルーズである。
ラテン民族だからアバウトさはそれなりに覚悟していたが、これほどひどいものとは・・・・

展示会前日の昼過ぎにミラノ・マルペンサ空港に到着し、「5時までに必ず設営は終えるように!」とうるさく主催者から連絡があったので、タクシーで一路展示会場へ駆けつける。
ところが、うちのブースには荷物が届いて無くて、しっかりバリケードされていた。
隣のブースのお兄さんが一生懸命設営しているその後ろの白い壁がうちのブース。
駆けつけた通訳が運送会社にがなり立てたが全くらちがあかず、そこへうるさく注意してきた主催者の担当者がやってくる。
「どうなってんだ?!オフィシャルの運送会社がこんな状況だよ、どうしてくれるんだ!」と喚くと、
「オフィシャルというのはこの展示会場のオフィシャルであって、うちがオフィシャルとして指定したわけではない」との回答。ラテン系はルーズだけじゃなく責任回避も軽々とやってのける。

2)日本という国を全くわかってない
世界中の国々から「手工芸物産展」として毎年開催されているイタリアで一番大きな、もしかしたらこの手のものとしてはヨーロッパで一番大きな展示会とのことだが、あまりにも雑多すぎて、単なるお土産物物産展であった。
「他に日本の出展社はいないのか?」と主催者に聞くと「あと数件ある」とのことで日の丸を掲げた日本からの出展と主催者の言うブースに行ってみると、どの店も日本人の姿はなく、どこの国籍かわからないアジア人が、ほとんど偽物とわかる商品を何のためらいも遠慮も無く展示している。

おもちゃみたいな刀を所狭しと並べて販売しているブース。「France Orient」というお店。


 
どこからこんなガラクタ仕入れてくるのだろうかとビックリするものを並べる店。浴衣を着たイタリア人女性が「オリンピク」なるバッグを売っている。

SUSHI BAR なる店。もちろん日本人の板前の姿は見あたらない。試しに直ぐ横で「こんな気持ち悪いものよく食うな!」と大声で言ったが振り返った店員はいなかった。アサヒスーパードライとキッコーマン醤油の瓶だけはもしかしたら本物かも。

「どこに日本のもの売ってるの?」と主催者の担当お姉さんルシアナに聞くと、驚いた様子で、「偽物だったら私は許さないわ、即退場させる!」と息巻いていたが、「全部偽物だよ」というと、「上司が認めたからそれでいいのだ」と半分逆ギレ。

3)やけにタバコを吸う人間が多い。
それも人が満杯の展示会場の通路で、歩きながら吸うやつがそこら中にいて、しかも女性がきわめて多い。
化粧の厚いおばちゃんも、若いかわいい子もそこら中でスパスパ。おまけに吸い殻はそこら中にポイ捨てで、床一面吸い殻だらけ。おまけにゴミだらけ。10年前の上海を思い出した。

4)表示類に親切さが感じられない。
通勤の電車が遅れるのは日常茶飯事のようで、誰も抗議することもなく、そもそも抗議しようにも駅員が見あたらない。深夜11時発の電車が55分遅れで、寒いホームで待っていると風邪引いてしまうと思ったのか、前に立っていた客は突然ワインの瓶を空けてラッパ飲みし始めた。
 
 
ちなみに電車に乗っていても、次はどこの駅だとかのアナウンスが全くなく、いまどこあたりかな?駅の看板無いのか?とそれに外を見ようにも社内が温かいため窓は曇り、全く今どこにいるのかわからない。
これもみんな慣れているのだろうか、電車が速度を落とし始め、どこかの駅に近くなると、そこここで「次はどこの駅ですかね?」と他の乗客に聞く人がバタバタし出す。

ちなみにうちのブースはこんな風
 
物珍しさで客はひっきりなし。でも、回りの店のガラクタまがいのものとは単価が一桁二桁違うので、買う人はきわめてまれ。

まあ、ヨーロッパ経済はドイツだけで維持していると言うことが、よくわかった滞在だった。


ヒマだったので、詩が浮かんできたりして。
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世界の至る所に
穴が空いているのに
誰ひとり
気がつかない

耳の後ろには
あらかじめ失われた場所があるのに
誰ひとり
気をとめようともしない

ネコが大げさにつまづく
彼はのんびりと
あくびの出来る道を
いつだって知っているはずなのに
大げさにつまづく

タイトルは「ミラノにて」にでもしようか。