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2012年6月7日木曜日

地獄の沙汰も・・・高野山一泊ツアー

ずいぶん昔、学生の頃、小さな旅行会社の添乗員のバイトをやっていて、晩秋の寒々と感じる頃に一度訪れて以来の二度目の高野山。
天下の世界遺産になったこの地の印象は、同じ世界遺産で沖縄の首里城を訪れた際、入り口の大きなドアが突然自動ドアで開いて、あっけにとられたあの時ほどではないにしろ、ちょっとイメージが変わってしまった。

まずは弘法大師空海がこの地にやってきて最初に訪れたという丹生都比売神社。
参拝の人もそれほど多くなかったせいか、それなりに厳かさを感じる。

特に社の裏手、高野山に登る参道脇にあった修行行者の石碑には、形もそうだが、その意味の重さを感じる。

さて、参道を歩く予定をしていたが、数日前から風邪気味で咳き込むことしきり、大事を取って?車でひょいと山を登ると、町のメインストリートは大きく開け、何だか舞浜駅からTDLのメインゲートに進むときの気持ちに近くなってくる。
到着しました、今日の滞在先の宿坊「遍照尊院(へんじょうそんいん)」
えっ?これが宿坊?お遍路も勤行もイメージさせない豪華な和風貴賓館のようだ。
檜造りの大きな浴槽の大浴場から見る外の風景はまさにリゾート旅館だった。

今回同じ宿坊にもその手の団体客が多くいたが、そもそもここの宿坊を利用する人の多くは、かつて高野山の開祖弘法大師こと空海が全国を行脚したのだが、その中でも一番わかりやすい行脚コース「四国八十八カ所」巡りの完走の報告にお参りする方のようで、お遍路装束+便利グッズセットに身を固めた方々。
まあ、一回りしたし打ち上げだからちょっといいところに泊まろうやないか・・・とでも言う感じだろうか。それにしてもその装束があまりにも汚れてないのが気になってしまう。

夜、食後の散歩にとライトアップされている壇上伽藍とその周辺のお堂を見に行く。


さて、翌朝は6時から本堂で朝の勤行。
高齢者が多くなっているからという意味はわからないでもないが、全て椅子席。
畳の上で正座してこその緊張感が全く、読経の途中で眠くなってしまった。
その後の地下の通路散策。そこには「ミニ八十八カ所巡り」ができるように四国の八十八寺の名前の入った布袋を踏んでいき、「さあ、あなたもここで八十八カ所巡り完走!」というわけで、その間回りにぶら下がった金ぴかの灯籠や弘法大使座像などが寄進した人の名前入りで所狭しと置かれ、出口には「灯籠一灯***万円」というような値段表が貼られていた。

まあ、そんなことは世の流れとして、奥の院ツアーのお話。
メインストリートには大型観光バスとともに観光客がそこら中歩き回っている。
そのもそも奥の院ツアーと言っても要は墓地巡りで、弘法大使御廟のそれはご本尊が眠るとされているが、その他はほとんどそこに屍や遺骨が葬られているわけではない、いわば祈念碑を奉納しているようなもののようだ。
世の流れと言えば、御廟の中も外も***万円の灯籠がそこら中に掛かっていて、奉納する方が多すぎて、すでに収納しきれないというので、本物の灯籠の代わりにクレジットカードみたいなカードが支給され、それを御廟の中心のお大師様の眠る場所の前にあるパソコンのセンサーにカードをタッチさせると、画面に自分の名前の入った灯籠が画面に映し出される。考えたものだ・・・・

一の橋からガイドさんと進んでいく


中の橋を過ぎた頃からおもしろい墓がいくつか
 市川團十郎の墓
 老人クラブはどこでも小金持ち?
我が加賀前田藩、なぜか前田利長の墓。
全然掃除されておらず、向かいにあった利長夫人の墓はしっかりときれいに掃除されていた。道を挟んで管理する宿坊が違うようで、後継者や地元支援者の財布のひもの違いなのかなと感じる。

墓ばかりの風景に飽きてきて、ちょっと休憩タイムという感じで身代わり地蔵などの地蔵堂がいくつか。
写真撮影禁止の弘法大使御廟はそれはそれで厳かな雰囲気。
そのあとは企業の慰霊碑的な大きな墓が次々と出てくる。
工業機械系は作業中の事故かなと理解できるのだが、食品関連の企業の「殉職者慰霊塔」などが出てくると、「えっ?あそこのチョコレートでこんなに大きな慰霊塔を建てるくらい人が死んだのか?」などと妙にいぶかしげになり、広告塔としてはちょっと考えた方がいいのでは?と感じる。

地元コマツもしっかり新しいロゴの慰霊塔

こんなに大きな慰霊碑はいったい維持費にどれだけの金額がかかるのかと次々に感じてしまうが、考えてみれば毎日何万人という方の目に付く広告なら、一瞬で過ぎていく放送媒体のコマーシャルより広告費の出し甲斐があるのかもしれないな。

でも、失礼な話、この予定地に来たら、もしかして予定の寄付の金額にまだ足りないのかと思ってしまった。合掌。

さて翌日は、地元名士で陶芸家の目黒威徳先生のご案内で霊宝館から総本山金剛峯寺へ。
金剛峯寺の門をくぐると、なぜだかすぐに目に付いたのが本堂の屋根に乗っかっていた大きな樽

防火用だとの説明だったが、あそこまで登る間に火が回ってしまうのでは?

この大本山にぶったまげたのは国宝級の絵画や仏像類ではなく「こうやくん」
近く大々的イベントが予定され、いくつかの建造物がその年に向けて改築されている高野山開創1200年のキャラクターだとのことで、その着ぐるみ君が大本山の中をうろついていた。
奈良のせんとくんのあのきもわるキャラがそれなりに人気があるのだからか、ここ高野山の聖地でも「こうやくん」グッズが土産物屋に並んでいた。



これで名を上げたら、全国の神社仏閣はこぞってゆるキャラに走るような気がして、ちょっと恐ろしくなってきた。この手のグッズ製作や販売に関わる業者は、かつては年に一回のイベント国体でずいぶん稼いでいたようだが、最近は国体も知る人は開催地の人くらいで、そんな意味でも東京にオリンピック開催がない限り、人の集まる神社仏閣がターゲットになるのかなと、俗人の私は思ってしまった。

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