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2010年4月26日月曜日

春の息吹~日野山

 迫ってきたGWに予定している登山のために、
冬の間山登りをしてない体をどうにか目覚めさせようと
快晴の空に白山がスッキリ映えて見える朝
琵琶湖周辺の山に向かって出発したが、
北陸自動車道を南下するうちに武生の手前で、
目の前に視界を大きく占める山がきれいに立ちはだかってきた。
 
越前富士とも呼ばれる日野山(ひのさん)・795mで、
「もしかしたら、この頂上から見る今日の白山連峰はきれいだろうな・・・」
「よし!今日はここにしよう!」と急遽変更、
南条サービスエリアのスマートインターチェンジから、一般道にでる。
 登山口の日野神社の手前の登山者用駐車場には
すでに10台くらいの車が停まっていて、
誰もいないだろうと思っていただけにそれなりに人気があるのかな?
と感じながら、登山口の日野神社で安全を願って柏手を打つ。
 













雪解け水が気持ちよく流れる川の音を聞きながら登っていくと
「古道」の標識が現れ、
林道や新しく整備された登山道を時折横切りながら
その古道を辿って頂上まで標高差700m余り、
ちょうど心地よい汗をかいて
頂上の日野神社奥宮まで約2時間。
 細い古道の脇には、時折地蔵が微笑み、


















ショウジョウバカマの花やスミレ系の花がそこここに咲いていて、















見上げると葉桜も彩りを加えたヤマザクラ、
ぽっかり鮮やかな白のコブシの花。


 予想通り、頂上からはちょっとかすんで見えるものの白山の三山の雪をまとった姿。
視線をスライドさせると荒島岳や銀杏峰(げなんぼ)、平家岳、能郷白山、冠山・・・などなど


白山連山の奥の深さを感じさせてくれた。

 









下りは違う道を通り、かつては女人禁制だった山に尼さんが登り、
山の神の怒りに触れて転がり落ちたという
「比丘尼(びくに)ころがし」と呼ばれる急な坂やいくつかの滝、
弁慶がトレーニングに使い3枚に割られたという『弁慶の三枚岩』などを通り、















日野神社に到着。
 なんでもこの日は「青木祭り」とかいう祭事の日だったようで、
朝見たときには開いていた本堂の扉がしっかり閉まって、
回りはひたすらぽっかりと日だまり。そして鳥の声だけの静寂。
 
 ちなみにこの日野山は、白山を開山した泰澄上人が開山したそもそもが修行の山のようで、
かの紫式部も2年間この地に滞在していたそうな。
いくつもある登山道の一つに越前和紙の古里「大滝町」からの道もあったり、
すぐ近くに「鋳物師」という名の集落があったりと調べていくと色んな発見があるような、
そんな静かで深い場所のようだ。
 とりあえず、春の息吹の中、いい汗をかいてきた。

2010年4月11日日曜日

久々に、朝の風景

今年の金沢の桜の開花は先週末満開を迎えた。
うちの近所の伏見川の桜並木もこの時とばかりに春の訪れを謳歌している。
後ろに見える白山連峰の山々はまだ白い雪が残っている。














冬の間もじっと水面を見つめている鷺、これはアオサギの一種なのかな。



そして、最近はつがいで姿を見せるキジが時々甲高い声を出して動き回っている。

能登の春ふたたび・・・

 今年も能登の春の風物詩「いさざ」を食しに穴水町へ。
今回は動画でそのぴちぴちさを感じてみて下さいな!
なにせこの白魚は元気な上に箸でつかむのがすこぶる面倒で、つかんだと思って口に持っていくまでに、どこかに飛んで行ってしまう。口からお迎え状態。

さて、能登と言っても、石川さゆりの歌を口ずさんで荒れ狂う日本海ばかりを想像される人には、ちょっとイメージわかないかもしれないが、馬の頭のような形の能登半島の口を開けたあたりにあるのが七尾湾だが、その沿岸海岸を「内浦」と呼び、海を見ていても、ここは湖か?と思わせるくらい静かな風景。その内浦に注ぎ込むいくつかの川をその白魚は遡ってくるのだが、それを専用の網というかザルというか、そいつで掬って元気いっぱいのいさざをとらえる。その様子はそんなものであの元気な連中を捕まえられるのか?と思わせるほどのんびりとしている。ついでに「穴水」という町名の元になったという名水の湧いている『穴水堂』に寄ってきたが、あまりにも目立たないのでずいぶん探してしまった。

 その内浦ののどかな穴水町を出て、今度は能登半島の反対側、馬の鼻先、頭からたてがみにかけての「外浦」側に向かう。途中、樹齢800年、源氏のなにがしかが平泉から持ち込んできたという『アテの元祖』といわれるアテの巨木、
2つの滝が一つになって大きく流れ落ちる『男女(なめ)滝』を見て、
下大沢という小さな漁村にたどり着いたが、目的の海岸べりの遊歩道は冬の日本海の荒波で、崩壊しているとのことで、どこぞに海に出れる場所がないかと道無き道を進むと『望楼台公園』という何だかぽっかりと空いたスペースの場所にたどり着く。駐車場には車が何台かあり、それにしては人気の全くない場所は、なんとかつては日本海軍の海上監視拠点として、一小部隊が駐屯していたようで、なんだかきな臭い廃墟の雰囲気が漂っていた。
 そうそう、海に行って、何で海に出れる場所を探すのだ?と思われるかもしれないが、能登は日本でも有数のいわゆるリアス式海岸が続き、どこもかしこも断崖絶壁の岩山が海岸にそそり立っている。だから、海岸に出でるには、入り江の部落からの道を探すか、その絶壁を降りていく場所を探さないと難しい。とりあえず、途中から道はありません、というそっけない標識の道を辿って、海岸線まで出て行く。目の前に広がる日本海は石川さゆりがこぶしをきかせるような冬の荒々しさは無いけど、岩を洗う波は次々としぶきを上げていた。
途中すれ違ったおじいさんに「この先大丈夫ですか?」と聞くと、「何もないよ・・・」と半分横を向いてなんだかはっきりしない返事。そういえば、さっきの駐車場で会った人も、視線をそらして、人に接触したくないようなこの雰囲気。これは能登の特長かな?などと思いながら、行けるところまで潮風にあおられながら歩いてきた。
 公園に戻り昼飯をとっていると、手にノートと鉛筆を持ったおじさんが寄ってきて、突然、そのノートを開いて「あんた、どこから来たんかいね?」と訪ねられ、「金沢からですよ」と答えるとノートに何か書き出した。「そんじゃ、お名前は?」と、何とも失礼な質問が飛んできて「なんで名前まで言わなきゃならないの?」と聞き返すと、お湯の沸くコッヘルと私の半分囓った魚肉ソーセージを見ながら、「ピクニックかいね、こりゃ、すまんこと聞いて、申し訳ない・・・」と話し始めた。
 何でも、このあたりは、春のシーズンは雪割草の花と行者ニンニクの葉で有名だそうで、雪割草はここから近い『猿山岬』に群生していることは知っていたが、行者ニンニクは初耳で、その雪割草と行者ニンニクを勝手に採取して、それも最近は根こそぎ持って行くやつが出てきて、国定公園の特別保護地区であるので、最近はしっかり監視と指導をしているとのこと。要するに私は人相からか行者ニンニクの密猟者?に間違われたようだ。そういえば、視線を余り合わせず、相手を識別するような視線は、そういうことだったのか!そういえば海岸にいるのに鎌持ってたな。
 帰り道、JAの生鮮物を売っている店に寄ってきたら、ありましたありました、行者ニンニクが今がシーズンでっせ!とばかりに袋詰めされて並んでいた。物色している私に店のおばさんがこっちの方が美味しいよ」と勧める袋には、他の生産物や他の行者ニンニクの袋とちょっと雰囲気が違い、生産者の名前が表記されてなかった。なるほど、こんな所に流通してるのかと納得してしまった。

2010年3月30日火曜日

甲子園の人模様

 地元のチームや出身校が出場してないと、案外冷静にテレビ観戦に熱中できるのが高校野球。
最近は、高校球児も場慣れしているのか、スタイルが良くなったせいか、泥臭さとか地方色が薄くなってきて、何だか妙にスマートに見えてくるが、それでも、多少演じている気配はあるものの、ひたむきさとかがむしゃらさという彼らの横顔は見ていて感動を与えてくれる。
 とほめていると、またまた問題発言を問いただされる監督さんが出てきて、まあ、それでも冷静になって反省して、謝罪した上辞任までしたんだから、それはそれで潔いかなと感じている。

 出身校が同じと言うだけで会話をしたことも、直接話したこともないのだが、昨年ワールドシリーズでMVPを獲って、今期、縦縞のユニフォームから、ちょっと安っぽい真っ赤なユニフォームのチームに移籍したメジャーリーガーは高校の後輩にあたる。
 古い話だが、甲子園で彼は5打席連続敬遠という高校野球では信じがたい仕打ちを受けた。
「少しは怒れ!」とテレビに向かってわめいたたものの、表情一つ変えずファーストベースに向かったその年寄りっぽい彼よりも、勝利のためと信じ、監督の指示を忠実に守った相手のピッチャーはどんな思いだったのだろうと、余計なお世話だが、今でも妙に不憫に思えてしまう。
それよりも、今でも許せないのは、勝利者インタビューでその監督が胸を張って言った言葉。
「**県のために、勝利のために指示しました」
これには素直に驚いてしまった!**県の人間はそれを許しているのかと、それ以来、この四国の土地には仕事でも行きたいとは思わないし、スーパーではこの県産のピーマンは買わない。
歴史のひとつの解釈をストーリーにしたのも面白いかなと大体は観ているNHKの大河ドラマも、今回はあの時代だからうけた単なる目立ちたがり屋の物語でしかないな、と全然観る気がおこらない。
 だれでもいい、その県の方が「あれはすまないことをした」と一言でも言ってくれれば、すっと収まるのだが、いまだにその機会はない。あの監督は今どうしてるんでしょうかね?
ちなみに、その時の5連続敬遠を見事にこなしたピッチャーは、私の出身大学の野球部に入部したが、チームそのものも低迷し、彼も鳴かず飛ばずで終わったと記憶している。

2010年3月22日月曜日

春の兆し

 雪が解けて、南の方から桜の便りが届き出す頃、毎年しっかりやってくるのが「花粉症」
もうすでに20年以上付き合っているこの一連の症状は、今や国民的行事の一つにまでなっているようではあるが、初めてこいつがやってきた時は、ひどく驚いて慌てふためいてしまった。
その20数年前の初対面(鼻)?は鎌倉の山でのことで、某シンガーソングライターの歌詞にある「源氏山から北鎌倉へ、あの日と同じ・・・」と口ずさみながら春の風景を楽しんでいたのだが、突然、源氏山頂上あたりで、鼻水が止まらなくなった。なんだこりゃ、と思いながら持っていたポケットティッシュを瞬く間に使い果たし、ハンカチがティッシュ代わりになり、挙げ句の果てには鼻をかみすぎて、鼻血まで飛び出す始末・・・・。それ以来鎌倉という土地の名前を聞くとくしゃみが出てしまう(笑)
 それにしても、これだけ長い期間毎年症状が出るのに、いまだに免疫も出来ず繰り返される学習能力のない自分に情けなさを感じながら今日もハナタレオヤジである。
 それに加え、このところ春の厄介者の一つに「黄砂」がある。こいつは年中大陸から中国三千年の歴史!とわめきながらやってきているようだが、春は花霞、と情緒豊かに季節を詠む日本人には、自然を愛でる気持ちをぶち壊す不届き者の砂埃で、二酸化炭素排出量と共に黄砂排出量も国際的に規制してもらいたいと思うのは私だけじゃないと思う。
 まあ、自然環境に抵抗しても、長い地球の歴史の中のほんの短い人間の営みの中では、慣れるしかないと思わせる現象ではある。
 ところで、うちの春の兆しの一つに、カメの冬眠からの目覚めがある。この通称ミドリガメ、ペットショップで、つぶれた草餅みたいにへらへらと泳いでいるあの種のカメで、1匹360円くらいで購入したもので、それがすでにうちに居着いて10年以上が経ち、甲羅の大きさは半径20センチは超えて、エサを食らうときの顔はまさに凶暴なガメラのそれである。正式にはアカミミガメというらしく、ペットショップにごちゃごちゃ固まっているいるやつの原産はアメリカ・ミシシッピーのようだ。
 毎年冬、寒くなると、首も手足も引っ込めて動かなくなり、こいつは死んだのかな、と放置しておくが、暖かくなるともぞもぞと動き出している。本当に死んだ奴もいて、最初3匹だったのが、1匹に減り、玄関で日向ぼっこさせておいたら、どこかの誰かが、「うちのカメもらって下さい」と1匹持ち込んできて、2匹体勢が5年ほど続いている。
彼らに名前は無くて、私は勝手に「カメ子」と呼んでいるが、日を浴びて目を細めて、時々、息をする音なのか「ミュウ」と云うような声を発する。

春待ちの知床

 知床の山では、かつて『羅臼岳(1661m)』に夏に登ったものの、世界遺産登録の影響で観光客がわんさかいる状態で長居はしたくなかったので、それ以上踏み込んで知床を見ようとはしなかった。今回は網走にある大学に在籍していた娘の卒業式もあり、冬の季節ならばとウトロ温泉に浸かりに行くことをメインに知床に出かけた。
 前日の強風時折吹雪の天気から一転し、快晴の中、ウトロのまったりとしたお湯の余韻を抱えて、これより先は積雪のため道路閉鎖という「知床自然センター」へ到着、そこからスノーシューを履いて片道30分ほどの遊歩道を『フレペの滝』を目指して歩く。
 灯台をバックにエゾシカの群れが見えだして、遊歩道のコース関係なくシカの群れに近づいていくが、彼らは人間になれているのか全く驚く様子もなく、といって奈良の鹿みたいに「エサをよこせ!無いなら買ってこい!」という感じの凶暴さはなくて、穏やかに、というより雪解けの中わずかに顔を出した草の芽を必死に掘り起こして食べている様子。














 ふっ、と振り返ると真っ白な雪山が大画面で連なっていた!右一番手前の羅臼岳から『三ツ峰』『サルイシ岳』『オッカバケ岳』『知円別岳』『硫黄山』と連なる姿は感動と共に「こりゃ、いつかこの山々は縦走しなくては!」と熱いものがわいてきたりした。

 













帰り道、芽が出たばかりの葉っぱでは空腹はそれほど満たされないのか、大きな角を持った雄の鹿が近くをふらつくように歩いてきて、「ここにも鹿せんべい置いてくれよ~」と言いたそうな顔で、自然センターの建物の方に歩いていった。














 自然センターのお姉さんに聞くと、夏場、羅臼岳から硫黄山までの縦走は多少迷うかもしれないが、テントを抱えていけば2泊3日で行けるとのことだが、気をつけなくてはいけないのは、なんと言っても熊の出現だとのこと。ついでに硫黄山の先の知床半島の突端にある知床岳までは、全く登山道というものが無く、熊との格闘も覚悟で、詳しい地形図を持っていけばたどり着けないことはないが難しいとのこと。
 かつて、北方領土元島民墓参団のオマケとして付いていった私は、国後島沖から知床岬を震えるような感動を持って見たが、その反対の風景が見てみたいという思いはどこかにある。「しれ~とこ~のみさ~きは・・・」といつかは唸ってみたいものだ。などと考えていると目の前の海岸をオジロワシらしき大きな鳥が横切っていった。

2010年3月10日水曜日

ひさびさに、志の輔らくご

 何だか落語家みたいな格好の写真をトップに出して、落語の話をしないのはどうしてだ!と一部の方からのお叱りがあったからと言うわけじゃないけど、それなりに好きな噺家の独演会や何人かの噺家の高座や寄席にも出かけてはいるのだが、この究極のイマジネーションの世界はなかなか文章では表現しにくいのが実情で、つべこべ言わず観に行け!と言いたいくらいなので、なかなかこのブログのネタにはならない。
 まずは好きな噺家でここ1年で観に行った名前を挙げると、柳家小三治、三三(さんざ)、権太楼、さん喬、喬太郞、昔昔亭桃太郎、瀧川鯉昇、春風亭小朝、そして最近は人気がありすぎてなかなかチケットが手に入らずしばらくご無沙汰していた立川志の輔。
 ここ1,2年は三三の噺がすごくいいと感じているけど、今回は以前入れ込んでいた志の輔を大阪の国立文楽劇場で観てきた。師匠が大阪で?というだけで何となく場違いな気がしていたし、それを文楽劇場だと果たしてどうなるのかなと興味心身の趣で出かけたが、これがなかなかマッチしていた。ずいぶん昔に、金沢の能楽堂で独演会をやったとき師匠の落語を初めて観たことを思い起こせば、そんなに違和感もなく、また、時々文楽とジョイントの高座をやっていることを思えば、案外自然な形かもしれない。
 おなじみの『紺屋高尾』をしっかりこなしていて、色物の噺では、特に沈黙と言えるほどの「間」の取り方が、噺のイメージを大きく左右してくると思っているのだが、以前にも増して志の輔師匠はその間をにくいほどうまく取っていた。多少よいしょ気味で言えば、すでに噺に円熟味が備わってきたように思え、思わず帰りに志の輔オリジナル手ぬぐいとDVDなぞを買ってしまった。