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2010年6月21日月曜日

ドイツ・オーストリア紀行 その1 やっぱりビールから

6月8日にフランクフルトに降り立ち、レンタカーでマンハイム~フライブルグ~デュッセルドルフ~ミュンヘンと移動して、9~11日の間仕事をこなし、さて一息ついて「やっぱりビールだな」
毎回、ドイツへ来ると、ここのビールを飲むためにかつて住んでいたミュンヘンに行く。
 ミュンヘンの中心街、観光客で賑わうマリエンプラッツからちょっと歩いて、屋外にテーブルが並べられてなければ通り過ぎてしまいそうな古い建物が「Schneider Weiss(シュナイダーヴァイス)」というビール会社直営のビアホール。ミュンヘンには市内だけで9社のビール会社があると聞いたことがあるが、その中でも一番小さなメーカーかもしれない。歩いて5分と掛からない場所にあるアメリカ人と日本人観光客でごった返すホッフブロイハウスから比べると規模は10分の1くらい。
 ドイツへ着いてから毎日が快晴で「あなたたちがあたたかさを連れてきた」と何度も言われたくらい、その前の週の一桁台の気温から一変したようで、街中のビアホールやレストランは屋外にテーブルを出して当然昼間っからビールが飲まれる。
 そんな中、当然という感じで屋外の日よけのあるテーブルに座ると、ウエイトレスのおばちゃんが、「日本語のメニュ-あるよ」と持ってきた。「心と体を満たす食空間」という翻訳は非常に良くできていて、この店やミュンヘンの街をよく知ってる人が翻訳したのだと、開いてみると、中の料理の名前の翻訳やこの店の歴史を紹介したページなどは感心してしまった。
 そんなことより、とりあえずビール!しかもバイエルンでは当然「ヴァイスビア」
うまい酒はその原料の味がしっかりすると言う、その典型みたいな美味しいビール。
ちなみにこの日のミュンヘンの気温は28℃、前日居たフライブルグ周辺は30℃だった。
 街中にビールを飲むためにテーブルが出されると大道芸人や床に絵を描く絵描きが出没する。
この日は市の中心部にある王宮の祭りでもあり、協賛するビール会社の樽を馬で運ぶ姿も見られた。

2010年5月27日木曜日

熊がいた!クマガイソウ?百名山No.80「吾妻山」

5月22日、まだ雪はあるだろうなと思いながら向かった今回の「吾妻山(西吾妻山2035m)」だったが、山形県米沢市から福島県北塩原村に入ってすぐの白布峠の登山口付近はすでに雪が高く残っていた。今回はこの雪に難儀した。
森の雪原を登って行き、最近付けられたと思われる赤符と、木の高いところに付けてあるから、もっと雪の多いときに付けられただろうと思われる黄色のテープを頼りに、ひたすら雪を踏みしめ、水芭蕉の咲き出した湿原に出た。

雪道もいいかげんうんざりしてきた頃に、急に開けた西大巓にたどり着く。磐梯山とその回りの湖、はるかに雪に覆われた飯豊山がかすかに見えた。

反対側を見ると西東小屋と西吾妻山の頂上がすぐ目の前に見える。ただ、そこまでは全く登山道が見えず、雪庇のある斜面で、たいした装備も持って来なかったのでこれ以上は難しいと判断し下山する。
下りはひたすら、麓の温泉の事ばかりを思いながら雪道を滑り降りるように歩くが、これがとんだ災難になった。途中で赤符の確認を怠り、登りとは全く違った風景の谷に出てしまう。雑木林と笹藪をかき分けて、丘と小川を2つずつ越えてどうにか登山口に戻ってきたのは、予定を2時間弱遅れてのこと。
小さな磁石と携帯のGPS機能に助けられたものの、四方の視界を遮る藪の中で、情けないことに一瞬パニックに陥った。
そんな瞬間、距離にして20m位下の目の前を、一瞬黒い影が通り過ぎていった。
「あれ?今のは何?こんなところにワゴン車が通る道はないし・・・」足もとを見ると雪の上にくっきりと熊の足跡が残っていた。小川から上る風が妙に冷たく感じた。

さて、くたくたになって「滑川温泉」にたどり着く。渓流の川音の中、露天風呂で体を伸ばす。

翌日、カタクリの花でも見て帰ろうと土湯温泉方面に行くと、あちこちに「クマガイソウ」という看板が出てきて、「熊がいそう?おいおい、そんなおっかないのか?」などと思いながら、その実態を見に出掛ける。
クマガイソウは「熊谷草」のことで、なんだか大勢の人が群生地にやってきていた。
近所のおばちゃんが曰く、この花は「ヨメノコブクロ」とも呼んだそうで、何となくそんな感じのぼってりした花だった。

2010年5月18日火曜日

ヤマシャクの山 霊仙山(りょうぜんさん)

5月16日、伊吹山の雪もすっかり消えた晴天の元、琵琶湖の姿を少しでも大きく見たいと『霊仙山(りょうぜんさん)1083.5m』に登る。
琵琶湖に注ぐ川の一つの丹生川沿いに谷を登り、「漆ヶ滝」などいくつかの滝を見たあと、尾根に向かって急坂をよじ登り約3時間、霊仙山手前の「経塚山」に出ると一気に視界が開け、振り向くと伊吹山のどっしりした姿が視界を大きく陣取る。

途中で出会った登山者から2回「ヤマシャクがきれいですよ」と声を掛けられ、ヤマシャク、つまり「ヤマシャクヤク」の知る人ぞ知る自生地のようで、群生する花を何度も見る。

遠く琵琶湖の姿を見ながら、笹の道を三角点のある頂上へ。比良山系の山々が並んで見えて、
もう少し雲が少なければ、はるか白山の姿も望めるのだろう。

下りは美ヶ原から横道コースという山腹ののどかなコースを通る。途中所々に「作業用道具」が置かれていて、登山道の看板や時折ひとりごとみたいなメッセージの書かれた木の板がぶら下がっていたりして、ほとんど麓の上丹生バス停前「西出商店」さんのこの山を愛する気持ちから付けられたもだと感じられた。
ついでに、琵琶湖の夕日の写真も

2010年5月9日日曜日

塩の山から

 登山後のいつもの楽しみの一つは温泉
今回は大菩薩嶺の麓の町、甲州市(旧塩山市)にある塩山温泉の元湯『廣友館』に泊まる。
かつてはこの辺一帯の宴会を引き受けていたのかなと思わせる古い温泉街でも一番大きな旅館だが、時代をひしひしと感じさせる宿だった。

この塩山という町、その名前から塩がとれる岩塩の町かと思いきや、塩山温泉の裏山の「塩の山」(554m)からその名前は来ているとのこと。
この塩の山の麓には向嶽寺という大きな臨済宗のお寺があり、そこから続く遊歩道を上って行くにつれて、本当に盆地の平地の中にぽつんとある山を感じてくるが、昔から四方のどこからでも見えて、頂上からは四方が見渡せると言うことから、「四方の山」と言われ、それを高嶽寺を開いた恵光大円禅師が、「四方」に「塩」の字を当てたのが始まりとのこと。
塩山は武田信玄及び武田一族ゆかりの地で、信玄公が31歳の時、比叡山より大僧 正位を贈られた記念に、京から仏師を呼び寄せ自分の体を模刻させ、髪の毛を漆にまぜて彩色し、作られたと言われている武田不動像や信玄の墓のある菩提寺『恵林寺』を散策してくる。

ワインの里にて

 今回の登山は、『白山の自然を考える会』のメンバーで、毎年GWとお盆の時期に一緒に登山をしているメンバーとの山行だったが、色んな職種のこのメンバーとの登山が面白いのは、単に山が好きで一緒に登るだけじゃなく、降りたあと、温泉や観光を楽しむというコンセプトで、百名山踏破を目指すミーハーな私にも居心地がいいグループ。
 
ということで、なぜか去年あたりからスケジュール作成担当になった私が、今回お楽しみに入れたのが「ワイン」
大菩薩峠の麓はワインの町勝沼、現在は旧塩山市と合併して甲州市となったが、ワインの原料ブドウだけではなく、サクランボ、桃、スモモなども名産でフルーツロードという通りには至るところに果樹園の看板。そのなかでも今回の目玉はいわゆる地ワイン。
大菩薩嶺の麓の日帰り温泉「大菩薩の湯」で、風呂上がりに飲んだワンカップの日本酒ならぬワンカップ赤ワインがすこぶる気に入って、その醸造元「まるき葡萄酒」を訪ねる。

なんだか醤油屋みたいな会社の名前からは想像が付かないくらいのモダンな建物が現れ、明治10年の起業とは思えないくらい。
入ると早速試飲、陽気なおじさん「もっち」さんがお薦めを次々と出してきて、この酒蔵のもう一つの名産「スモークたくわん」をつまみに、いいかげんいい気持ちになってきた。表には誰でもご自由にと仕込み水の蛇口もあり、ワンカップワインの中身と同じ『オリンピア』という銘柄の赤ワインの一升瓶といくつかのお薦めを買い込む。

私のお酒の選び方は、基本的にどんな酒でもその原料の味がしっかりするものがうまい!と確信している。だから日本酒は純米に限り、焼酎は匂いからしてうまさを醸し出す芋焼酎、ビールはヴァイスビール、そしてワインはちょっとざらつきを感じる赤ワインか、極力新しいフレッシュな白ワイン。
このざらつき感は地ワインには期待できるが、ここ「まるき葡萄酒」のオリンピアもいわゆる気軽に飲めるターフェル風の味わいがいい。

GW山行 百名山No.79 大菩薩嶺(2057m)

 明けて5月3日、温泉もしっかり疲れを癒してくれて、極めて快適な山小屋「三条の湯」で10時間も寝れば、スッキリ爽やか。朝食の卵ご飯もお代わりして6時半、小屋をあとに下山する。小屋の一つ下には渓流沿いに快適そうなキャンプサイトもあり、こんな山小屋ばかりなら山登りはすこぶる楽しくなるだろうと感じる。

林道ゲートから次の目的地の大菩薩嶺へ青梅街道を車を走らせる。さすがにGWで東京からも近いと言うこともあり、車の量が増えてきて、予定の裂石方面からの皇太子ご夫妻も登った人気登山道は混むのではと言うことで、街道から途中で人気も行き交う車もない林道を入り、六本木峠という北側からの登山道で大菩薩嶺を目指す。
尾根道を天庭峠~寺尾峠~丸川峠と進むと、峠の山小屋「丸川荘」から富士山がすっきりと姿をあらわす。

好天に恵まれているとは言え、北側斜面を登ると所々残雪で、昼過ぎに頂上に到着。
目の前に富士の姿を見ながら昼食をとる。


本日の泊まりは大菩薩峠の土産物屋の「介山荘」 その名は未完の大時代小説『大菩薩峠』の作者、中里介山からとったもので、入り口のドアを開けると緒形拳主演の同名の舞台のポスターが私たちを迎え、未完で41巻あるという小説やその逸話などが飾られていた。

その介山荘、これまた前夜の三条の湯同様快適な滞在ができた。お土産屋が本職だからかオリジナルせんべいが渡され記念にボールペンまで付いている。

夕飯は山小屋の定番のカレーライスであったが、
なんと晩酌用にと白ワインがもれなく付いてくるのは感動もので、なんだか山に登りに来た感じがしなくなってきた。昨夜同様、ここも元気な若旦那が頑張っていて、この辺り一帯の山小屋共同でスタンプラリーなどもやっているようで、何だかしかめっ面の登山マニアや壮年団体客ばかりに占領される百名山に、こんな作戦は若い人を呼び込むにはいい案だと感じる。
夕食後の夕日も南アルプスの山々のシルエットはぼんやりとではあったがきれいだった

翌日、5月4日は大菩薩峠から福ちゃん荘~上日川峠~雲峰寺と人気コースを辿り、途中の林道にはこれから登ろうという客を乗せたタクシーが次々と走りすぎ、上白川峠の駐車場のおじさん曰く「登山のお客様には100%駐車スペースは確保します!」

途中の登山道で植物のお勉強。
茎の模様と花の部分が首をもたげた様子に見えることから「マムシ草」とも呼ばれる「天南星(テンナンショウ)

それと、固まって咲いているのに、なぜかこの名前「一人静(ヒトリシズカ)」静御前から名前が来ていると言うが、どこがそうなのか・・・


GW山行 百名山No.78 雲取山(2017m)

 5月2日早朝というか深夜というか、午前2時過ぎに金沢を車で出発し、高速の勝沼インターを寝ぼけ眼で降り、当初予定の登山道入り口の「お祭り」より先の林道に車を進ませ、林道のゲートから歩き始めたのが午前9時近く。

睡眠不足の中、どうにか今日の宿の山小屋「三条の湯」のお風呂にたどり着きたいと、「東京水道水源林」の続く、後山川沿いを歩き、倒れるように三条の湯に到着。すぐにでもお風呂に入りたい気分だったが、軽く昼食を採って、山小屋のおじさんの「頂上までこれから行っても夕食までには帰ってこれるよ」と軽く言われ、昼少し前にリュックを山小屋に置いて頂上へ向かう。


途中何度も鹿の姿を見たが、それだけ出会うと言うことは、植物がそれだけ食い荒らされていると言うことで、新緑はまだ先かと枯れ葉を踏みながら進んでいるのは、実は鹿が新芽を食べ尽くして木が育たないだけかもしれないな、と感じて見渡すと、紫っぽい花の付いた青々とした葉がそこら中にあり、これが毒があって鹿も食べない「ハシリドコロ」という植物だそうで、この植物以外全て食べ尽くしたのかと空恐ろしくなる。



 頂上までの往復4時間半。転げるように三条の湯小屋にたどり着くと、おじさん曰く
「あら、頂上まで行ってきたのかね?お風呂に入りに行ったにしては遅いなとは思っていたが、行ってきたのか・・・」おいおい、あんたが軽く言うからだよ!と文句も言えないくらいぐったりで、夕食に出た鹿肉の燻製も効いたのか、6時過ぎには就寝。ちなにに鹿は害獣扱いされていて、基本的にどれだけ狩猟してもいいとのことで、銃の免許を持つ山小屋の若旦那が捕ってきているらしい。

GW山行初日、車移動で7時間弱、歩き7時間弱。山を二つ登ったくらい疲れて、なんと山小屋で10時間も寝た。