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2010年12月30日木曜日

続々・いつの間にか年の瀬 今年最後のぼやき

 毎年この季節は、何が楽しいのか、テレビでは「Uターンラッシュ」や「国外脱出ピーク」の時間を費やすが、水戸黄門や大岡越前が好きな日本人ならではのお決まり恒例行事ですな。
成田空港などで小さな子供達がインタビューに「これから、モルジブに行きます」なんて言うのを見て、「このくそガキ偉そうに、百年早い!!」とテレビの前で叫いているのは私だけではないだろう。

それにしても、最近は空港も電車の駅も自動化というか機械化されて、
効率が良くなっているはずなのだが、
どちらも相変わらず旅慣れない人種がのんびり行動していて、
イライラすることしかり。
それもテレビゲームやパソコンは手早く処理できる若い連中が、
もたもたしていると、そんなもの選ぶのに何分かかってんだアホ!
と後から蹴りを入れたくなる!
いかにマニュアルを繰り返し処理しているだけの考えない人種が増えているかを
駅や空港へ行くたび思ってしまう。

続・いつの間にか年の瀬

 毎年この時期になると、決して慌てることもなく、
国民的番組と当のNHKがのたまう紅白歌合戦をバックミュージック代わりに、年賀状を書く。
とは言っても、プリンターで写真を入れた画像を印刷し、宛名もプリンター様任せ。
それでも、年末に送る相手一人一人の顔を思い出し、
一言二言メッセージを書き加える。
 最近のいわゆる官製?(民営化されたなら民製か?)の年賀はがきは
色んなコマーシャルも印刷できるようで、今年は石川県立音楽堂オリジナルの
「ラ・フォル・ジュネ金沢」の広告が入ったものを使うことにした。
ちなみに来年のラ・フォル・ジュネのテーマは「ウイーンとシューベルト」
金沢では4月28日~5月4日のゴールデンウイークに開催される
http://lfjk.jp/index.html

 ついでに、私が25才の時から年賀状の主人公となっているから、
その頃から見ている人は来年の年賀状で26回目となるのだが、
いつもキャベツを画像の中に入れている。
初めて届いた方からは「よっぽどキャベツが好きなんか?」とか
「おたくはやおや関連の仕事もしていたっけ?」などと聞かれるが、
これは単純に子供達を「キャベツ」と表現して、
自分のその年の目標や淡い決意を、子供達にもそうあって欲しいとメッセージの一言加えてある。

そのために毎年どこかでキャベツを抱えて写真を撮ってくるもので、
何枚も撮った中でこれで行こうという一枚だけが日の目を見るけど、
これも良かったけどしょうがないなという写真は毎回何枚も出てくる。
その落選写真をちょっとお見せします。

 ちなみに撮影した日から数日はキャベツをどうにか処理しようと食べまくるけど、
一番好きなのはキャベツをザックリぶつ切りにして、
関西の串揚げ屋に行ったら必ず出てくるソースに浸してばりばりやる食べ方。

いつの間にか年の瀬

バタバタしているうちにおせち料理の食材も値引きセールをする時期になってしまった。
1ヶ月以上ブログを放置していたことになるな。

年末の締めとして、今年登った百名山をおさらいしておくと
5月-雲取山、大菩薩岳、吾妻山 
6月-甲武信岳
7月-鳳凰山
8月-水晶岳、会津駒ヶ岳
9月-常念岳
計8峰
年々ハードな山が残っていき、登る数も少なくなってきているけど、
今年のベストの風景は鳳凰山から見た朝焼けの富士山かな。

残念だったのは計画していてどうしてもスケジュールが合わなかった「飯豊山」
土砂降りの中水晶小屋までは行けたものの、
悪天候でもう一踏ん張りのところで行けなかった「鷲羽岳」
そして、途中から雨が激しくなり川が増水してきたため引き返した「幌尻岳」
来年はこの3つの山へのリベンジと
大嫌いな人混みラッシュを突撃してでも行きたい「穂高(奥穂高)岳」

どうにか、次のサッカーワールドカップの年までには百の峰を登り切りたい。
加えて、今年35年ぶりに登った我が命の源「白山」
感謝の気持ちを形に毎年登ろうと心に決めた。

2010年11月22日月曜日

志の輔 in てるてる亭

 それほど遠くもないが今まで行きたくても行けなかったところに、富山市の中央通り商店街にある「てるてる亭」という客席266のこじんまりとしたホールがある。http://www.teruteru-tei.jp/
地方都市ではどこでも見る後継者不足や郊外型ショッピングセンターに押されてだんだんさびれていく商店街に、地元銀行がビルの3階に作った、芝居好きや落語好きの人間にとってはうってつけの「ちょうどいい大きさのスペース」で、今回は大好きな立川志の輔師匠の高座を、最後部の席で観に行ってきたが、そんな席でもしっかり表情が見えた。
 
 なんでも、あの忙しい師匠が2008年6月のこのホールのオープン以来ほぼ毎月定期的に開催している『志の輔のこころみ』はこの11月21日で昼公演50回目、夜公演51回目だそうで、いわゆる志の輔定席ができあがっていて、毎回来ている!なんて人もいるようだ。ちなみにこの「てるてる亭」の命名は志の輔師匠だとか。

 一席目は古典の『王子の狐』で若い女性や狐の表情をうめく表現していて良かったが、圧巻は二席目の新作の志の輔おなじみの『ディア・ファミリー』
 師匠の出身地富山での人気の秘密の一つに富山弁でまくらを客席に話しかけるというのがあるが、今回はまくらだけではなく噺全てが完璧に富山弁で、今までこの噺は標準語でのものは見た事はあるが、圧倒的に演じる姿は生き生きしている。

 帰りにビルの1階の「ほくほく通り」という土産物屋や雑貨屋の商店会を歩くが、寄席に来た人間には受けそうな作りで、この日は近隣のボランティア団体の施設での作品や工芸品の店が一杯出店していた。
 これも空洞化した商店会の活性化の一つの手法かなと感じた次第。少なくとも閑散とした商店街にちょっとしたあたたかな場所ができたような感じで、何となく長浜あたりの町づくりを思い出した。金沢の地元の銀行さんもこんな地道なことから始めたらどうかな?

そのほくほく通りの志の輔グッズコーナーで買った志の輔の顔入り甘酒饅頭もなかなか美味しかった。
ついでに、この日は極めて快晴で、立山、剱岳をはじめうっすら雪を冠した北アルプスの山々が街中からでもスッキリ見えて、こんな日に山に登っている人は最高に幸せだろうなとちょっとうらやましくなった。

2010年11月3日水曜日

小春日和に近場の温泉 曲水温泉

 数日、冬のような寒さの雨降りの続いた金沢に、ちょっとお休みといった感じの穏やかな天気の今日。
 ほっとするような日本映画を観てきた。芥川龍之介の短編小説を映画化したという『トロッコ』
台湾の地が舞台だが、日本と台湾の関係というか位置づけを親子三代の視点で語られた作品だと私は感じた。あいにく画像がないのでHPでhttp://torokko.com/story.html
もしくは実際に映画館に足を運んで詳しくはご覧あれ!

 物語の中だけの表現ではないと思うが、過去に日本は台湾という場所に多くの社会設備を整備し、それが今でも台湾国民の心に感謝や尊敬の気持ちとして残っているようだ。
 映画では、かつて日本に行くことに憧れていた老人が、日本人が作った山の中の木材運搬用の線路に「日本人は何でもちゃんとしたものを作る」と尊敬の念を持っていて、この線路の上をトロッコに乗ってずっと行くといつかは日本に行けると信じていた、と言わせた。

 「ちゃんとしたものを作る日本人」は、おそらく高度成長期の前までは実像として存在していたのだろうな・・・「ちゃんとしたものを作る」姿勢や技術が無くなっていくと、ろくに当たりもしない兵器ばかりを作り、それを消費するために戦争をけしかけることが国策だと考えている某大国と同じになり、不良品を量産しても安ければ売れて、叫いたらなんでも通用すると大きな錯覚をしているどこぞの「気分の悪い国」などになめられてしまうのだろうな・・・・若者よ、ちゃんとしたものを作るちゃんとした人間になれよな!

 などと考えていると、せっかくに休日がもったいないので、映画の後は温泉に出掛けた。
金沢に住んでいると言うと、相手からまず出てくる言葉が「美味しいものが沢山取れるところよね」と次に言われる頻度が高いのが「いい温泉が一杯あっていいね」
それで、どこの温泉を指しているかというと、山代、山中、片山津の加賀温泉郷か、能登の和倉温泉。何が金沢じゃ?と眉間に寄せれるだけシワを寄せて言いたいところだが、そこは押さえて、「金沢市内にも温泉はあるんですよ・・・例えば、百万石の奥座敷と呼ばれ、竹久夢二も愛した湯涌(ゆわく)温泉とか」とお教えすることにしている。
 金沢の街中から、その湯涌温泉のこじんまりとした温泉街にたどり着くちょっと手前にひっそりとあるのが「曲水温泉」。日本秘湯を守る会の会員宿でもある「曲水苑」一件の温泉で、温い露天風呂に使って山の風景を眺めていると、のんびり眠たくなってくる。

ほんわかする「間」の世界 東京乾電池公演

 高円寺にこんなに素晴らしい劇場があるとはしなかったな~、というよりそもそも高円寺という場所に来たのが人生初めてで、ねじめ正一や椎名誠のようなごつい顔した輩が商店街を闊歩しているのかと、これまでちょっと近寄りがたい場所であった。
 
 そんな高円寺の「座・高円寺1」での東京乾電池の芝居。タイトルは『長屋紳士録』
戦後の貧しい庶民の生活を描いた小津安二郎監督作品を舞台化したものだが、気になったのが金曜日の夜の公演にもかかわらず、客席238席のうち半分強ほどしか埋まって無くて、昔からの東京乾電池ファンの私にしては申し訳なくなるような入場者数。
 それでも、柄本明やベンガル、綾田俊樹というそうそうたるメンバーが登場し・・・、そうか!もしかしたら、この最近ちょっと年を感じさせる大御所三人が、オリジナルメンバーとして東京乾電池の芝居に今も出演しているとは思わない人が多いのかな?それでこの入りかな・・・・などと考えながら開演を待っていると、入り口に寿司屋のネタの表示みたいに配役の名前がぶら下げてあった。
 
 なんでも「本公演は、出演者の組み合わせが日によってかわります」とあり、「ダブルキャスト、トリプルキャストは他にもありますが、本公演はスクランブル(ごちゃ混ぜ)キャスト」とのことで、配役札は毎日違う風に付け替えられることになるのだろう。
なんとも不思議な、新しい試みに驚きながら「今回限りの生の面白さ」と唱った舞台を観ていた。

  選んだ題材が小津安の映画というのは極めて狙い通りのネタだなと感心してしまった。
小津安の持つ画像の中の定点から見る「間」を、乾電池は舞台装置の定点から展開する「間」に置き換えていたように感じた。ほんわかほっとする芝居を観た。

2010年10月31日日曜日

35年ぶりの白山

 近い所にいると、いつでもいけると思っているせいか、なかなか行けない場所は誰にでもあるもので、私には「白山」がその典型だった。
 10月2日、快晴の空、
当初は「初心者になって白山に登ろう!」と声をかけたら、10人の知り合い達が、同行すると言っていたのだが、残念ながらそこは初心者っぽく私の計画倒れ。運動会や町内の行事が重なったり、仕事でどうしても手を離せないという参加予定者が次々と現れ、結局、グループのインストラクター役にと声をかけた「白山の自然を考える会」のメンバーで、ここ数年一緒に色んな山に登っているベテランの友人と全くの素人で登山はおそらく初めてという女子大学生、そして私の3人での山行になった。
 35年前、当時中学生の私は山岳会に所属していた伯父夫妻と父親、そして山岳会のメンバー数人で確かに白山に登ったのだが、その記憶はほとんど残っておらず、ご来光を眺める参加者の中に私がいるという写真を見た事がある、という記憶だけの白山。
 ひたすらのんびり行こうと言うことで、8時過ぎに市ノ瀬のバス停前に到着し、登山口の別当で会いに着き砂防新道の登山口を歩き始めたのは9時ちょうど、天気が良くて気温も適温、こんな時の登山は妙に軽く感じて、中飯場、別当覗、立て替え中の甚之助小屋、南竜分岐と教科書通りに、ポイント毎の休憩と順調に進んで、約4時間半で室堂センターに到着、


翌朝は雲行きが怪しく、ご来光は拝めそうにないという天気予報だったので、そのまま御前峰の奥の院に向かう。白山はこれほど綺麗で穏やかで、色んな方向の顔を持っていることに感じさせられながら足を進めた。
 
同行の友人は毎年白山に登りこの奥宮で柏手を打たないと気持ちがすっきししないとの事。
言われてみれば、私は毎年正月の初詣は麓の旧・鶴来町にある「白山ひめ神社」に出掛け、一年の無事を命の水の源である「白山」に感謝の気持ちを伝えているが、それを白山に登ってこそその気持ちは自分自身にも納得がいくものだと改めて感じ、来年からは体が続く限り年に一度は白山に登ろうと思った。



2010年10月24日日曜日

気になること炸裂~その3

 どうでもいいことだけど、すこぶる気になることに「手をたたく」というのがある。
例えば、居酒屋で1人ないし2人、または4~5人で一杯やっている時、隣の宴会の団体などが妙に気になりだして、それがすごく美人がいるとか、どこかで見かけたような人がいる、もしくは余りにもしんみりしてるというたぐいではなく、何かの話題で笑う時大きく振りかぶって手をたたく人物がいる。自分の連れにはその類の人間が幸いにもいないので、なおのこと気になるのか、
「そうなのよね、可笑しいよね~(バチんバチん)」「そう、それよあははは(バッタンバッタン)」←( )内は手をたたく音。その宴会グループの他の人たちは何も気にならないのかな?
 そもそもあれは一体何なんだろうね?自己主張の一つの手段?見ていると圧倒的に女性に多い。彼女は家庭では彼女の母さんもお姉さんも妹も、時にはおばさんも同じようにバッタンバッタン手をたたきながら輪になって話に興じているのだろうか、と呪いに憑かれたか、毒キノコをみんなで食べたかどっちかにしか見えない情景を想像して、ゾッとしてくる。

気になること炸裂~その2

 飛行機で空港に到着して、手荷物受取所のベルトコンベアの場所に行き、手荷物をピックアップしに行くわけだが、国内の多くの空港には「カートをこれ以上前に出さないで下さい」とか「この線より前に出ないでお待ち下さい」とかいう表示のラインがコンベアの周りにしっかり引いてある。
 信号待ちのように、その位置におとなしく立っていると、やがてコンベアが動き出し、荷物が出てくる。この時だ!なぜか、いつもと言っていいくらい、ラインの手前で立っている私とコンベアの間に入り込んでくるやつがいる。前に立ったら荷物が見えないじゃないか!おとなしく後ろに控えておれ!と叫きたいくらいだが、そういうやつに限って、あっち行ったりこっち行ったり、人の荷物に手をかけて「あれ、これ違うわ」などと言って、その他人の荷物を放り投げたりする。挙げ句の果てに、おもむろに後ろを振り向いて(私は決して振り向いたそのアホ面は見たくないのだ!)「**さ~ん、これでしたかね?」「どれどれ」と団体で割り込んできたりする。
 こんなやつには後ろから「思い切り蹴りを入れても良い」という条項を航空法の中に入れてもらいたいものだ!

なんと!3週間ぶりだ!気になること炸裂~その1

 人混みが嫌いなのは昔からだけど、最近都会の街中に出ることが恐怖に感じることがある。
一番の要因は「歩く速度がめちゃくちゃ遅い!」と、自分のことを言っているわけではなく、町行く人々のイライラが極度に増殖される歩き方のことだ。
 特に駅や空港などなんでこんなに遅く歩けるのだろうか?大リーグ養成ギブスでもみんな装着して額に冷や汗かきながら進んでいるのかと、一人一人の顔をのぞき込みたくなるくらいだ。
駅の地下鉄に通じる細い通路を横並びで歩いていたり、右へ寄るのか左へ寄るのかはっきりしないでヨタヨタ歩く・・・・決してご老体が団体でいる訳じゃないので、なおのこと「こいつら一日72時間くらいあるのか?どけどけ!」と叫きたくなる。
 それぞれ自分の速度というのがあるので、一概に何が悪いとは言えないが、人の通る通路に「早足」ラインと「のんびり」ラインぐらいのゾーンを作ってもらいたいものだ。エスカレーターで急がない人はどちらかに寄ることが暗黙の了解になっているようだが、最近、「エスカレーターでは階段のように登らないで」などと言う表示を見たことがあるが、どこの間抜けだと書いたやつの顔が見たいし、単に事故が発生しないように責任逃れする役所根性が浸透してしまっているようで、これじゃ、競争原理の激しいお隣の某巨大国にバカにされるわなと思ってしまう。

 ゾーンと言えば、高速道路の「走行車線」と「追越車線」を理解してないのか、漢字が読めないのか、漢字の意味がわからないのか、追越車線をひたすら、それものんびり走る間抜けなドライバーが多いのには参ってしまう!
これは明らかに道路交通法違反であるから、しっかり摘発してもらいたいものだ。ついでに卒業した自動車学校の名前をナンバープレート以上の大きさに車体の貼ることを義務化してもらいたいものだ。
 

2010年10月1日金曜日

今年一番の絶景!初秋の常念岳 百名山No.84

 快晴の9月25~26日、常念岳に登る。
なにしろ、山は天気によってこんなにも感動のポイントが違うのかと思わせる絶好の登山日和。
初めての常念だが、一の沢からの登山道がこれほど渓流脇の歩きやすいところだとは思ってなかったこともあり、「胸突き八丁」と言われてもそれほど疲労感もなく常念小屋にたどり着く。
夕焼け、星空、ほぼ満月の月がぽっかり眺められ、朝はご来光のまぶしさを浴びて、振り返ると槍ヶ岳から穂高連山の朝焼けに、写真にできた小さな穴のようにちょこっと月が。
 感動は忘れないうちにと思っていたものの、今回は間抜けにもカメラを忘れて、携帯の写真のみ。





たったそれだけ?

 今日からタバコの値上げが実施されたようだ。
日本のタバコの値段はなぜか発展途上国並みの安さ、国家財政のうち健康保険に占める数字は極めて大きく、タバコが原因で発症する成人病もはっきりわかっているのに、愛煙家なるいわば税金使い放題人種にもっと課税されてしかるべきだと思う。
「大幅値上げ」とわめかれて、大量追い込み購入が相当あると聞いて、ようやくやってくれたかと思ったが、なんと300円→410円?何そのせこい値上げは?
先進諸国の価格をみると、少なくとも3倍にすべき現状を永田町の議員先生達は何を考えているのだろうか?値上げしても禁煙率はそれほど下がらないと思われるから、税収の受益者負担ならぬ迷惑行為者負担としては当然だと思う。
 昨日、高速バスに乗って金沢から大阪に移動した。バスの後ろの席には若い女性が2人乗っていたが、彼女たち、休憩で停まるサービスエリア毎に喫煙室に走ったようで、席に戻ってくるとむ~っとタバコの匂いが漂ってきて、2人でしゃべる度匂いが周りに広がっていく。一気に気分が悪くなり、思わず「くっさーっ!」と唸ってしまった。横目で見るとそれなりに綺麗な女性達で、この人達は日常会話して気分悪くなる方がいないのか不思議でしょうがない。

2010年9月13日月曜日

浅草で一献 「駒形どぜう」と「神谷バー」

 初めて『駒形どぜう』に足を運んだときは、それなりに勇気が要ったなあ、と思い出しながら、人の手でこすれて、いつの間にか扉の向こうが透けて見える引き戸をきしませる。
 1階の座敷座りの広間の喧噪が一気に飛び込んできて、なんだかわくわくしてくるが、あぐらの苦手な私は、地下のテーブル席に向かう。
 「とりあえずビールと鍋一枚!」本当にこの『どじょう鍋』というやつは、薄くてちょこんと取っ手の付いた鍋といい、どじょうの並び方、炭の赤々と燃える専用の七輪、これまた人が長年握っているせいで細くなっている台の木箱、どれをとってもダシとネギの匂いがしみ込んですごく美しい!
 初めて来たとき、どうしていいのか戸惑っていると、隣の老夫婦のご亭主の方が、「ネギは思い切り山盛りにしな」と教えてくれたのを思い出し、山が崩れて鍋の下に落ちていきそうなほどネギを高く盛り、「よっしゃ~」などと一息ついてビールを喉に流し込む・・・・至福の時間ですな。
 枝豆とゴマ豆腐なんかをつつきながら、酒がビールから升酒にかわった頃に、ようやくダシがネギにしみ込んで、どじょうも「そろそろやんなよ」とヒゲを伸ばしてくる。

 どじょう汁のどじょうがまだ腹の中で踊っている頃、暖簾をくぐって外に出ると大川(隅田川)からの風が鬢のほつれを誘って・・・・なんて色っぽいシチュエーションだといいのだが、足は自然と雷門の方向に進んでいて、バンダイの人形をひとなでふたなでしているうちに、たどり着くのはこれまたドアを開けると一気の音量の大きくなる酔っぱらい達の話し声の渦。
ウエーターのお兄ちゃんの食券のもぎりがいまいちぎこちないなあ、などと思いながら、ここは静かに汗をかいた小さなグラスの『電気ブラン』をキュッとやる。
これまた至福のひととき。

2010年9月6日月曜日

まくらを一つ  小三治の世界

 8月31日、「柳家小三治2夜連続特別講演」と銘打たれた小三治の独演会に出掛ける。
小三治と言えば本題の噺に入る前の「まくら」の面白い噺家で、高座の座布団の横に用意された湯飲みのお茶、といっても中身を見たことがないのでそうだと思うが、これも芸なのかもしれないな・・・、をすすりながら日々の出来事をぼそぼそとしゃべり出す。いつまで続くのだ?早く本題に入れ!と叫く客は誰もいなくて、なんならいつまでもそのしゃべりで終わってもいいと思い始めた頃に、いつの間にか古典落語の噺に入っている。
 この日の演題は一つ目は『欠伸指南』小三治の師匠の小さんが寄席でやったのを観たことがあるが、そのな「ぼそぼそ」という話し方が何となく似ていると思わせる。二つ目の噺は『馬の田楽』方言が通しで使われる噺だが、これがまた味が出ていて、「味噌を付けた馬見なかったけ?」でそのシーンが目の前に出てきそうで、思わず笑いが止まらなくなった。
 落語は、見ようによっては、いいオヤジ達が座布団の上に座って、良く訳のわからない話を勝手にしているだけの姿だが、そのオヤジが、人間味そのものを引き出して、時には色っぽい後家さんや怒りっぽい長屋の大家になって、その背景の風景や動くスペースまで広がりを持って見えてくる。言わば究極のイマジネーションの世界だと私は思っている。
  さて、今回の独演会には三味線を抱えて和服姿の色っぽく高座に上がってきた「柳家そのじ」の幕間を飾った。「落語の師匠の出囃子はほぼ全ておぼえていますので、リクエストいただければ三味線で弾きますよ」と言ったものの、本当にできるのかなこの若さで、と思ったが、「先代の・・・」とリクエストがあってもさらりとこなしてしまって驚いた。彼女は落語の師匠に弟子入りする人間には極めてめずらしい東京芸大邦楽科卒業とのこと。色んな人間が世の中にいるものだと改めて感じる。

2010年9月2日木曜日

忘れないうちに・・・その3 百名山NO.83『会津駒ヶ岳』

 8月29日、前日の帝釈山登山下山中に遭遇した土砂降りで、着ているものは全部びっしょり。民宿の洗濯機を借りて、どうにか生乾きの感がある服を着て、登山靴に足を通し、いざ、会津駒ヶ岳(2,133m)へ。
宿のオヤジさんによると、昨日雷雨の中ヘリコプターの救難活動があり、駒ヶ岳のどこかで滑落事故があったらしいとのこと。「そんな事故が起こるような場所は全くないのだがな・・・・」と彼は頭をひねっていたが、その言葉通り、天気も回復し、時折秋を思わせる風の吹く中、快適な登山になった。
登り2時間位で「駒の小屋」にたどり着き、頂上付近の広がりが小屋の横の「駒の大池」の水面に映っていた。ちなみに小屋のある一帯は頂上より標高にして100m弱低い湿原で、季節的には盛りは過ぎたもののいくつかの高山植物が花を咲かせていたが、残念ながら何という花なのか・・・・
小屋から木道を通り頂上にたどり着くと、雲の間からかすかに尾瀬の名山「燧ヶ岳」が見えていた。
 下山途中、行程のほぼ半分ほどの場所に冷たくて美味しい水の流れ出る水場があり、そこでしばし涼を取る。涼しさと旨い水を求めてやってくるのは人間様だけではなく、蝶が一匹私にまとわりついて離れなかった。もしかしたら、こいつは誰かの化身かな?などと思わせるくらい私の周りから離れようとはしなかった。汗の中の塩分でも吸いに来たのかな?

2010年9月1日水曜日

忘れないうちに・・・その2  『帝釈山~田代湿原』

 今回は百名山の一つ『会津駒ヶ岳』に登ろうと福島に向かう。
連休の一日目で片付けて、後は温泉でのんびりしようと東京を8月28日早朝出発したものの、事故渋滞とかで、東北自動車道は渋滞。
 予定より2時間以上も遅れて尾瀬の北側に位置する登山口の麓の村「檜枝岐村(ひのえまたむら)」に到着。この時間から登ると下山してゆっくり温泉に入れないなと思い、行程の短い隠れた名山の『帝釈山』(2,060m)に向かう。
帝釈山から田代湿原は高山植物の宝庫で、人混みの尾瀬ヶ原より落ち着いて自然が満喫できるところだと聞いていたので出掛ける。約2時間で帝釈山の頂上、そこから尾根を伝って湿原の田代山へ。時々小さな池や水の流れる音の聞こえる目の前に広がる湿原とそれを貫く木道。花の多くは枯れていたけど、ひたすら静かなひととき。


 さて、帰ることにして温泉温泉!と歩き出すと、ごろごろと雷鳴と共に稲光の連続。
メガネにワイパーを付けたいくらいの土砂降りになるが、下りは1時間ほどだと思い雨具も付けずに下山すると、しっかりびしょ濡れ。
 その日の民宿のオヤジさん曰く、「あのあたりは落雷で一発だよ。先月も落雷直撃で一人亡くなった」とのこと。

 

忘れないうちに・・・その1 今年も利賀村のSCOT

 もう学校は始業式を終えて9月に入るというのに、遡ること8月21日、毎年恒例の富山県南砺市利賀で開催される国際演劇祭に出掛けてきた。
演出家鈴木忠志率いる多国籍劇団SCOT(Suzuki Company of Toga)がこの地に拠点を移して35年になるといい、その歴史の中で、日本国内より世界の注目がこの小さな山村に注がれていると言うことを毎年思わせてくれる。
 約2週間、新人研修に近い舞台から、世界各国の利賀で舞台をすることを一つの夢にしてきた劇団がいくつかの会場を使い公演するのだが、知っている人は毎年屋外劇場で開催される舞台を楽しみにしている。
 今回の屋外ステージの演目は『シラノ・ド・ベルジュラック』
エドモン・ロスタン作の恋愛もの舞台の定番を、鈴木流にアレンジし、日本の明治維新前後の設定に置き換えての演出は過去の鈴木演出を見ている人には、「こうなったか・・・・」と納得いさせる作り。
 この屋外劇の一つの特長は、海外からの観客も多いのだが、地元の、ご近所の観客も相当いて、富山弁があちこちで聞こえる。お目当ては芝居の中に「予算の限界」と鈴木の言う花火の打ち上げがあること、それと舞台終了後に、今回は富山県知事の鏡割りによる樽酒の振る舞いがあること。
 時間にして夜の10時過ぎまで舞台を鑑賞して、一杯やっていく知事がいること自体この演劇祭の地方主体の意味を知らしめるに十分で、一発イベントやれば次の選挙も大丈夫だなどと思っている全国の地方自治体の首長には勉強してもらいたいものだと毎回思う。

2010年8月18日水曜日

試練の最後の秘境 百名山No.82『水晶岳』(2,986m)

 前日まで台風の進路を気にして天気予報を見ていたが、8月13日の朝はスッキリとは行かないまでも、とにかく厄介な台風は去ってくれたみたい。
朝5時前に富山インター近くで合流したメンバーは私と私の息子を入れて5名、息子を外したら平均年齢半世紀を超えたメンバーが黒部源流の山々に向かう。
 タクシー会社でジャンボタクシーに乗り換えて、登山口の取り立てに向かうが、さすがにお盆のラッシュ時、ゲートを通るための長い列が連なっていた。
 以前、薬師岳に登ったときに歩いた太郎兵衛平まで順調に進み、目標の山々もスッキリ目の前に見えて、気合いが入ってきた。
 
と喜んでいたのはこのあたりまでで、これから霧が出てきて、雨が降りだし時折風も強くなると言う天気に変わる。当然、期待していた景色も足もととその周辺のみという具合で、余り語ることもない3泊4日の登山だった。
とりあえず、説明をつけて写真だけでも
1日目は絶えず川の流れの音が響く「薬師沢小屋」に宿泊、外は気温10度前後だが、雨で蒸している小屋は満室で5人に用意された布団はなぜか4枚。2日目の出発時に写した小屋とすぐ前の吊り橋。
ここから急登の岩場が続くが、雨はだんだん激しさを増し、登山道は時折濁流状態。最後の秘境雲ノ平はこのしぶきの向こうだ!がんばれ!と自分を励ます。
登り切ったものの、目の前にスッキリ見えるはずの水晶岳は影も形もなく、「どこが庭園やねん!」と叫きたくなるような風景

登山靴はすでにずぶ濡れで、子供の頃長靴にわざと雨水を入れて歩いたことを思い出したりした。
そんな道のりの中、ぽっかりと現れた真新しい山小屋「雲ノ平小屋」 なんと4日前にオープンして、
なんだかここで今日はもうやめておこうかと思ったが、まだ午前10時前。渋々先を急ぐ。

水を汲みに立ち寄った雲ノ平テントサイトで雷鳥の親子らしき4羽に出会う。

予定では、この日のうちに水晶岳に登り、翌日早くに鷲羽岳を往復する予定だったが、2日目の宿泊場所「水晶小屋」に着く頃には、雨と風は最高に達し、とりあえず濡れたものを脱ごうと小屋に入ったのはお昼ちょっと過ぎ。一度ほっとしたら、それ以上動く気にもなれず、水の溜まった登山靴に足を入れる気にもならず、そのまま、夕食のカレーをお代わりして、小屋の神棚に手を合わせて雨がやんでくれるのをひたすら待つ。
3日目。とりあえず水晶岳は登っておこうと、雨は小降りになってきたものの風は極めて強い中、濡れた登山靴に気合いを入れて足を突っ込み頂上に向かう。本当に何も周りの見えない頂上、眼鏡がひたすら曇る。
水晶小屋に戻り一服した後、真砂岳の分岐で湯俣の方に向かう。
これがまた、長く険しい下りで、足がもつれることしきり。
下っていくと共に当然ながら気温は上がり、高山植物の群れも多くなる
このあたりからはひたすら「温泉に早く浸かりたい!」の言葉だけが頭を駆け巡り、それに合わせてか麓から硫黄の匂いが立ち上ってきた。竹村新道を湯俣岳手前のカールあたりから、ちらりと野口五郎岳が見えて、谷の下にはかすかに五郎池。


今回の登山で一番の幸せを感じたのは、たどり着いた温泉付き山小屋「青嵐荘」
なにせ、3日分の汗を源泉掛け流しのお風呂で落として、ついでに川原に点在する露天風呂にも浸かる。

風呂上がりのビールがしみることしみること・・・・
川原を15分ほど散歩すると、硫黄が吹き出してこんもり仏舎利塔みたいな形になった「噴湯丘」なるものがあり、どこかその辺を掘ればお風呂になるような感じ。

道端の壁に遭難碑のプレートが貼ってあり、よく見ると「金沢医科大学山岳部」とあった。

この青嵐荘は昭和7年に作られ、一度土砂災害で崩壊し、昭和17年に再建されたという。この秘湯という表現がぴったりのお風呂はここだけのためにもう一度来たいものだ。お風呂の脱衣所にあった成分表は昭和37年に書かれたもので、適応症の中に「陳旧性梅毒」などと言う文字もあった。